2024年9月発行ニュースレターNo.29

チェルノブイリから学び、子どもたちを守る 未来の福島こども基金ニュースレター

未来の福島こども基金ニュースレター
from chernobyl No.29 2024年9月発行
チェルノブイリから学び、子どもたちを守る

ニュースレターNo.29のPDF(7MB ※読み込みに時間がかかります)はこちらからダウンロードできます。
みなさま、ぜひご覧になってみてください!

総会&映画会


8月3日、酷暑の中、志木市柳瀬川図書館にて映画『決断』の上映会を開きました。
私たちは人生の中でたくさんの決断を迫られて生きています。福島のお母さんたちはあの時、どんな決断を迫られたのでしょうか?
各人の運命を変えた大きな決断。
当事者の生の声を拾い集めた貴重な映画でした。撮影された一人の元気なお父さんは現在ガンと闘っている最中とか。
原発さえなければ、と心から思います。

上映後のアンケートに寄せられた感想を本文で紹介します。

心のケアと保養の役割
たらちねと球美の里の取り組みから見えること

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね
理事長 鈴木薫

https://tarachineiwaki.org

たらちね心のケア事業について

たらちねは、2017年6月にクリニックを開院した。被災地の母親たちの「気兼ねなく、被ばくの不安を相談できる医療機関がほしい」という声に応えたものである。開院以来、たらちねがあるいわき市だけでなく、県内外からの利用者がいる。その中で、震災による精神的な不安の相談を受けることが増えて、クリニックとは別の枠組みで行う必要性を感じるようになった。たらちねの医療事業の顧問であり、乳幼児精神科医の渡邊久子先生に相談し、2017年末にクリニックと並行して心のケア事業を開始した。

最初は、クリニックの隣の小さな部屋で相談を受けはじめたが、人の出入りが頻繁な環境では、プライバシー保護の問題やしっかりとした相談時間が取れないなどの理由から、2018年、たらちねの事業所から車で1分ほどの場所にある一軒家を借りて「あとりえ・たらちね」をオープンした。通称「ワルンぺ」という。古代の言葉で「子ども」を意味するものである。

「ワルンペ」は、プライバシーを守り、人々の心の井戸の波長で時間や空間を感じられる内装を施し、訪れる相談者が、リラックスして利用できる雰囲気になっている。

語り(ナラティブ)と箱庭遊び、絵画、工作、手芸、ゲームなど〜母親には語り、子どもには遊び、それぞれのニーズに合わせたメニューを準備した。また、サイコソマティック(体と心のつながりを重視した考え方)によるボディワークの導入により、語りたくないという利用者にも非言語の癒しから利用を始められるなど、内容に厚みを持たせ立体的な構造にした。

これらのメニューは、専門家の協力と指導のもと、知識や技術面でも随時アップデートしながら進めている。担当するカウンセラー(相談員)は、同じ被災者であるたらちねのスタッフが担っている。それは、言葉にできない共通の体験と痛みを共感し、説明しなくても分かり合える気持ちを重視したピアサポート(仲間同士の支え合い)のためである。相談する方、される方という垣根を超えた、場づくりにも役立っている。さらに、利用者の状態に応じ、精神科医によるスーパーバイズ(専門的アドバイス)が受けられ、小児科、内科のたらちねクリニックがあることで、心だけでなく体の健康もフォローできる体制になっている。

開設から2023年末までに、子ども573名、保護者556名、62世帯の利用があった。現在も、利用者は増えている。

子どもたちが受けた災害について

この活動は、日々のサポートだけでなく、被災者の心の状態を見て、今、何が起きているのか、何が必要なのか、を知る上でも重要なものである。

これまでの事業実績をもとにした専門家による考察では、「東日本大震災で被災した子どもたちは、地震・津波・原発事故の3つの複合災害に遭っただけでなく、それぞれの親が抱えるトラウマによる被災にもあっている」という見解である。
子どもたちは、3つではなく4つの災害に遭っている。

特に原発事故は、被害の大きさが実感できない環境の中で、人々に長距離の避難を強いて、家族や夫婦の間でも心の分断とコミュニティーの崩壊をもたらした。大人たちは、家族を率いて、何とか生き延びようと必死に尽くしたが、 発災直後の命の危険を伴う困難な時期を過ぎると、心の崩壊とも戦わなければならなくなった。その極限の状況の中、それぞれの成長過程で抱え、心の井戸の深い部分に横たえてきたトラウマの澱を掻き立てられてしまう精神状態に陥り、子どもを保護する保護者としての役割が危うい状態になるケースもあった。

幼少期の恐ろしい体験が大きな余震をきっかけにフラッシュバックし、自分自身が子どもとして逃げてしまい、現実の我が子を置き去りにしてしまったり、それまでの自分の親との愛情・憎悪の入り混じる苦しい関係を子どもとの関係に色濃く持ち込む状態になってしまったり、形はさまざまである。いずれも、そこには子どもがいて、肌感覚で親の異変を察知し、困難を乗り越えようと早熟にならざる得ない姿がある。そして、それらの精神面のケアがなされないまま、互いに辛さを抱えて日々の生活が送られていく。

たらちねの心のケアの現場で感じることは、震災から13年経った今も子どもたちは頑張り続けていることである。月日の流れや衣食住の安定とともに、見えないものに気が回らなくなった大人は、学校の成績や習い事に励み、成果を出すことを望み、大人が考える良い人生を送るために子どもを叱咤激励する。

震災の時は、親を支え、ともに生きるために心を尽くし、その後は大人たちの生きる希望、家族の希望の光としての役割を担ってきた子どもたち。「あなたがいるから家族に笑顔がある」「あなたの存在が希望だった」と言われ、子どもは、家族の拠り所であり心の分断を回避するコミュニケーションの要でもあった。そして、震災から13年が過ぎる今、何事もなかったような世界の中で、受験戦争をはじめ、親が望む戦いの中に身を投じている。

人間の成長にとって大切な乳幼児期に震災を経験した子どもたちは、いつ休息できるのだろうか?と感じることがある。休みながら成長することを、世の中の流れは許さない。

子どもの心と保養

沖縄・球美の里の保養は、コロナ禍以降、リスク回避のため、家族ごとの小規模保養に形を変えた。現在の形は、震災後13年経た子どもたちの心にマッチしたものだと感じる。

球美の里の参加規定に従い、保護者は「大自然の中でジタバタしても仕方がない」という覚悟を持って参加する。親の落ち着きを感じ、子どもたちには、ゆったりした時間が生まれる。

自然の風や空気で癒され、体に良い食事をとり、生きるために必要な休息を肌で感じながら数日間を過ごすことができる。
自分自身の心の休息を実感できる保護者も多い。コロナ禍以後は父親も参加できる形になったことで、これまでは、お互いに言わずにいた深い話をする機会もあり、震災以来わだかまっていた夫婦の溝が埋まったという声もある。

子どもが直面している問題は、福島県だけでなく全国的に類似したものがある。だから、それは通常でもあること、ととられがちで震災の後遺症という認識は薄い。

しかし、震災前後生まれの子どもたちの年齢が上がるにつれ、不安や無気力を訴え不登校になる子どもの数は増えている。そして、それらの子どもたちが乳幼児期に過酷な震災体験をしていることは無視できないと感じる。
2023年度の福島県内の小中学校の不登校児の数は、過去10年間の比較で最多である。

保養があることは、子どもたちの心のケア事業の大きな助けになっている。頑張り屋で生真面目な子どもたちが、保養に行って元気になったり、人生観が変わる子どもがいたり、未来に大きな希望を持って帰ってくる子もいる。そんな様子を見ていると「保養に行くことをすすめて良かったなあ…」と思う。

20ミリシーベルト/年という、通常の20倍の管理基準の地域に子どもを居住させている被災地の実情から、身体の健康のための保養という役割は当然あるが、心の健康と活力を取り戻すための保養の役割も大きくなってきている。そこでは、大人が考える以上の効果が見られる。
震災から時間が経ち、子どもたちを支援する活動が減少している中、保養事業の継続は、より大切になってくると感じる。                  

下画像:総合小児科医 黒部信一 お話会/あとりえ
総合小児科医 黒部信一 お話会/あとりえ

『決断』を観て アンケートより

  • 辛かった。勉強しないと、と、思った。
  • 地震がたくさんある日本で原発は無理、避難した人たち、とてもがんばっている。
  • 被災者が怒りを持って生きている様子がよくわかりました。震災離婚も初めて知りました。
  • 少しは知っているつもりで、でも、多くを知らないと痛感しました。
  • 見えないもの、聞こえないものを感じることの難しさ。避難の大変さを感じた。
  • 国策の犠牲者が辛い目に遭わされている。国も東電も誰も責任をとらない。避難者が「決断」しなければならない状況。最後のラジオは衝撃でした。「地震が来たらと話していた20数分後、本当に地震。知りませんでした。福一でつくられた電気を使っていたのは私たち。私たちは、地方に犠牲を強いて電気の生活を享受している。忘れてはならないし、声を届け続けなければならない。それが東電管内に住む者の責務と思っています。
  • 知っているようでまだまだ知らないことが多いと思いました。黒部ドクターのお話で放射能から守ろうとした母の子が問題になっているのが腑におちない。
  • この国はいったい・・・と、いつも思ってしまいます。また原発増設とか言っているし。
  • 映画の最後のおじいさんの譲り合いの話に救われました。原子力、原発、核兵器、、、私たちは本気で主体的に学ばなければなりません。起きたこと、起こされたことに対して、被害を受けている方たちの人権が保障されていくよう行動しましょう。
  • 子どもたちに尻拭いさせない! 大事!いろいろ教えていただきありがとうございました。
  • 今日はどうしても参加したいと思いやってきました。志田さんのDVD*はとてもよかった!『決断』は私が予想していたものと違っていたので少し驚いたが、私の中に避難して未だ苦しみの中にいる姿のイメージが固定観念だったとわかった。苦労し様々な思いを抱えて、しっかり生きている姿に改めて感動した。これからも応援していきたい。
  • 映画を見て、多くの福島の皆さんの貴重な体験、お話しの数々を伺うことができました。13年という歳月の中、私自身も忘れかけてしまう福島のことを改めて思い起こし、何か自分にもできることは? 問い続けたいと思います。
  • 福島のみなさんのお話、聞いていて辛いです。実家は原発より45kmぐらいですが地域でみんな暮らしているようです。心配です。でも、どうしょうもないのだと思います。アナウンサーの大和田さんの話に母たちを思い出しました。
  • 実際の皆さんの声、心に響きました。まだまだ終わっているわけではないことを強く思いました。敦賀原発が再稼働できないと規制委が決めて初めての決定に拍手。他の原発の再稼働も反対です。今回、初めての参加です。大勢集られてよかったです。3・11忘れないでいきたいです。
  • ドキュメンタリー、とても良かったです。改めて原発の当時の方々の生の声をお聞きして私たちはこのことを忘れてはいけないことだと思います。
  • 志田さんのDVDも『決断』もとても良かった。
  • とてもいいドキュメンタリーを観られて良かったです。
  • 放射能の問題は終わっていない。まだ一杯ちゃんと片付けていくしかないと思っています。
  • とても良い映画でした。今後も気を引き締めて脱原発の活動を続けていこうと思いました。
  • 上映会ではいろんなことが学べて良かったです。
  • 福島の復興が叫ばれているが、その内容はなんだろう。避難した人たちを追い出し新たな工業団地、学術センターを作ることが進められている。これは税金だ。今、若い人たちが防護もなく浪江町に行っているが警告の鐘を鳴らさないといけない。除染されていると言ってもごく一部でしかない。騙されないようにしよう。
  • 視力を失う難病になっているのでお手伝いができないのです。情報の入手が難しくなっています。
  • 貴重な記録になる映画を拝見できて嬉しかったです、ありがとうございます。同じ自主避難者と言われる当事者として、胸が痛くなるものでした。こうして勇気を出して声を上げてくれる人たちに感謝しつつ、私はこの問題にどれだけ向き合っているか、私は何もできていない、と心苦しくなりました。その反面、もうこの問題から離れたいという気持ちも。訴訟を抱え、怒りを抱え生きていくことに疲れます。ただ、この先長く生きる子どもたちのためにも理不尽なことには声を上げ、おかしいことを堂々とおかしいよ!!!と、言える世の中を作っていかなくてはならないと思いました。

  
(注)・最後の感想は「子ども応援金」を受けている娘さんと参加してくださった母の声です。後からメールで感想が届きました。「娘は特になにもない、とのことでした。きっと思うことはあっても、言語化するのが少し難しいようです」とのコメント付きでした。

『決断』についての詳細は公式サイトをご覧ください。

上映したい方への情報、今後の上映予定などが載っています。
https://mirufilm.jimdofree.com/最新作-決断/

*志田弘子さんのDVDについて

『その日はいつか(希望のもしも)』というタイトルのDVDを、この日、『決断』という重い映画の前にサプライズとして上映しました。加賀友禅染絵師の志田さんは被害のあった福島を訪問。なんとか福島の人たちに寄り添いたいと2021年に制作した15分の短い動画です。その数年後にまさか能登地震が起きようとは。〜志田さんのブログ“じゃり道工房”に「能登を守って」(能登地震のさなかで)という文章が載っています。ぜひ、ご覧ください。
http://jarimiti.com/2024/01/12/能登を守って/

2023年度決算報告(2023.6.1~2024.5.31)

ご寄付をくださっている団体の紹介

  
寄付団体名(2023年6月1日〜2024年5月31日)団体名のみ記載 敬称略 
※個人のみなさまからも多くのご寄付をいただいております。感謝申し上げます。

ACT21/アラカワ/伊藤石油/伊藤法律事務所/小川医院/お絵描きぽけっと/大牟田母と女性教職員の会/ウォーターマーク・アーツ・アンド・クラフツ/語り部地蔵/カトリック仁川教会川和保育園/川和保育園父母の会/教覚寺/クレヨンハウス/玄米ごはん・カフェじょじょ/小池音楽教室/桜井書店/志木かっぱ油田/渋谷民商布ぞうり・結/脱原発千万人署名志木の会チェルノブイリ子ども基金 /日本聖公会桃山基督教会/桃山幼稚園/フクシマを思う実行委員会千葉 友の会/網走友の会/ 遍照院/民宿夢民村/芽ばえ社/日本大通り法律事務所/非核平和を求める写真絵画展事務局/「沈黙の春」ライブ/麦っ子畑保育園/西小岩幼稚園/龍国寺/具志川モービル/ピースライブインこうち/たんぽぽ法律事務所/法然院/ほっとふるサロン東所リサイクルの会/山形の会/やじんき法律事務所/リサイクルグループ カリーナ

【振り込み用紙の声から】

  • 持ち寄ったものを販売した収益金を寄付します。寄付を送りたいところがたくさんあって、寄付額はあまり多くはありませんが、みなさまの活動を応援しています。
  • ニュースレター28号、読みやすくわかりやすい。ご苦労さま。Kさん
  • たらちね理事長の文を読んで、地道に活動していらっしゃることがわかりました。黒部医師の文でプラス思考の大切さを改めて知りました。Hさん
  • 司法、行政、立法、一緒になって原発事故被害を忘れようとしているのを感じます。Tさん

【メールから】

先日、福井県の修学旅行生(中学生)16名が、「たらちね」を訪れました。
震災当時は、みんな幼児だった子どもたち。修学旅行は、毎回海外組と、国内組とに分かれ、修学旅行の場所もスケジュールもすべて、子どもたちが決定するそうです。今回は、9泊10日の東北ツアーに決めたとのこと。
一人の子に、なぜ東北ツアーになったのか? 質問したところ、「理由はよくわからないけれど今知っておかないと、後で何か後悔するよね」という意見にみんなが賛同したそうです。
だから「今回の修学旅行が終わったら、なぜ今知っておかないといけないことだったのか、分かるのではないか」と言っていました。
震災当時まだ幼かった子どもたちも、震災を振り返り、自分たちがおかれた立場や、次の行動を考える年代になりつつあります。震災を経験し、そして今を生きる大人の責任を果たすため、たらちねとしてできることを粛々と行っていきたいと思います。(木村事務局長)

沖縄・球美の里の声

沖縄・球美の里

球美の里では、4月から8月まで、8回のファミリー保養が行われました。

ファミリー保養は一回につき、2~3家族 約十名の保養者さんが、5日間球美の里に滞在します。「沖縄・球美の里」ブログインスタなどで保養の写真をぜひカラーでご覧ください。

4月・5月

沖縄・慰霊の日・6月

7月
左 畳石ビーチで
右 泥染から泥遊びに/施設の敷地内

8月・ハテノハマにあるブランコ
★家ではあまり食べない子どもが残さず食べるように。玄米ご飯も好評。どの回もほとんど残飯がないという。

球美の里ブログに保養の様子を掲載中。

ドルトムント独日協会さま

*球美の里のさいしょにみやこじのさなちゃんとお友達になって、海でいっしょに泳いだり、かにをつかまえたりしてたのしかったです。
*ビーチがとても海の水がすきとおっていて、貝殻や魚などのいろいろな海の生物が見られてとても楽しかったです。

子ども応援金を受けて(続編)

ご支援してくださった皆さまに心から御礼申し上げます。

Sさん(母)

いつもご支援ありがとうございます。母子避難生活を経て福島に戻り、早8年が経とうとしています。帰郷後は諸事情により所有している家には住めず、賃貸の家に暮らしておりました。昨年、福島に今後も住み続けることを決意し、新居を構えました。これからは、ようやく落ち着いて過ごすことが出来そうです。ご支援いただきました娘は元気に高校に通っております。まだ将来何がしたいかは分かりませんが、物価が上昇しており、これからますますお金がかかる時です。娘がやりたいことが見つかり、出来るよう、これからも見守りたいと思います。放射能の問題は消えることはありせんが、笑って過ごしたいと思います。

Yさん(母)

高校1年生の娘の母親です。娘は春休みにボランティアに参加する計画があります。
小学5年生の時に1人で参加した保養は、おそらく素晴らしい経験だったのでしょう。今回は自分がボランティアとして参加するために、パンフレットを見て応募し、zoomの練習や振込方法、ボランティア保険の手続きなど、さまざまな準備を進めています。これらの手続きを通じて、以前ボランティアに参加した方々の思いも感じているでしょう。
高校の海外ホームステイに参加したかったようですが高額すぎて断念しました。しかし、彼女は諦めず、自分にしかできない経験をするために積極的に行動しています。

Oさん(母)

皆様のおかげで、第1希望の高校への進学が決まりました!北陸地方の高校なので、心配もありますが本人が被災した経験を生かし、被災した方に寄り添えればと思っています。

Tさん(母)

私達は物価高騰により家賃の値上げがあり、アパートから復興団地へと引っ越しました。昨年から続く物価高騰の影響で、厳しい生活が続き復興団地の空き待ちの最中でした。仕事を増やす中で、安定した生活を選ぶか娘との時間を選ぶかの苦渋の選択になりながらも、どうにかこうにか、がむしゃらに今を精一杯過ごしております。娘との過ごす時間を作りながらも笑って暮らして行けるのが、ありがたいと身に染みております。
まだまだ厳しい世の中ですが、きっと良くなる世の中へと変わる事を祈り願っております。

Mさん(母)

子どもたちは下になるにつれて、家にいる時間が増えています。長女は、部活に勉強に大学に向けても準備を頑張っています。下の弟と妹が不登校なために、頼れる人がいない環境でしっかりしなきゃという意識があるようです。ご支援いただいたおかげで、新しい陸上のスパイクを買ってあげることができました!
支えてくれる人がいるよって、気持ちを受けとって目標に向かっています。1学期の評定も上がって、進路について家族でも話し合えるようになりました。

全ての「子ども応援金 皆さんからの声」はこちらのページでご覧いただけます。

こころと体の話

黒部 信一(小児科医師)
黒部信一ブログ
未来の福島こども基金 代表
チェルノブイリ子ども基金 顧問
いわき・たらちねクリニック 顧問

あなたのこころはすでに拘束されています。

誰に、でしょうか。何に、でしょうか。
それはあなたの母親が、授精後から千日、つまり妊娠中の9か月から出産後の2年間(合計千日=33か月)の間に、どんな感情やこころをもち、どんな暮らしをし、どう自分の子に向き合ってきたかに、拘束されているのです。

そこを基礎にその後の育ち方によって、味つけがされて成長します。その基礎の部分が今までは生まれつきと思われてきましたが、そうではなかったのです。
その根拠となる「育児室からの亡霊」(ロビン・カー=モース他/毎日新聞社2000年発行)から引用します。この本は、小児科医会名誉会長内藤寿七郎氏推薦で、乳幼児精神科医渡邊久子氏も薦めています。

“まえがき”から

「精神分析医ゼルマ・フライバーグは、親が子ども時代から引きずっている自分の問題を、わが子の育児にも持ち込む傾向があることを示すためにこの用語(育児室の亡霊)をつくった。

“人生を決定づける最初の33か月”から

「研究によって、胎児として成長する9か月間と生後24か月間に虐待されると、少年や成人になってから暴力的になりやすいことがわかっている」。
「ここ30年の研究は、・・・慢性的なストレスや放置は胎児や乳児の脳の発達を阻害するし、幼い子どものころに虐待や放置を受けると、しだいに学習の集中ができにくくなる。親の慢性的なうつ状態、放置あるいは正常な脳の発達に必要な刺激の不足、幼い時期の基本的な対人関係の不足や保護の中断なども有害である」。
「考える力や感じる力、他人との関係を築く能力のもとが養われるのは、胎児としての9か月から生後2歳までの間である。この期間に環境と、発達途上にある脳とが互いに作用しあってこうした能力が築かれる」。

少なくとも50年くらい前から「妊娠後期から乳児期にかけて、母親が恐怖感をおぼえるような出来事にあうと、その子は臆病になる」と言われてきました。

また胎教と言って、胎児に心地よい音楽を聞かせたりすることも勧められています。胎児を気持ちよくさせることが目的でした。
小児科医内藤寿七郎さんが赤ちゃんを診察する時、赤ちゃんが笑います。目であいさつしていたのです。それを真似して私も赤ちゃんに目であいさつしています。でも笑わせるのはなかなか難しいです。

赤ちゃんに「愛されている」と感じさせることは、「気持ちが良い」と感じさせることです。これが生後7か月までは必要だとアメリカの小児科医ホワイト博士は言います。だからいつも赤ちゃんが気持ちよく感じるようにしてあげましょう。

スキンシップは赤ちゃんが喜ぶことが必須です。赤ちゃんをお人形さん(おもちゃ)にしてはいけません。触ったり抱っこしたりすることが赤ちゃんにとって気持ちの良いことになるようにして下さい。赤ちゃんの目を見て下さい。目が笑っているか輝いているのが良いのです。嫌だなという目つきをしていたり無関心な目つきだと良くないです。喜ばないのに触らないでください。赤ちゃんはよほどの嫌なことでないと泣きません。じっと泣かずに我慢しています。繰り返されるとその内にあきらめてしまい、そして母親に対して期待をしなくなり、無関心になります。病気になって小児科医にかかる赤ちゃんの多くは、目が輝いていません。

私は今までに福島原発事故による子どもの被害について、甲状腺がんの多発と共に、アレルギー疾患と発達障害が増えていると言ってきました。それは母親による子どもの囲い込みと過保護・過干渉によると考えてきました。子どもに放射線の被害が及ばないことを願ってのことだと思いますが、それが子どもの発達に影響しています。わかりやすいのがアレルギーです。

アレルギー疾患は、いかにも生まれつきのように言われますが、遺伝子と育てられ方でなります。遺伝子というのは、なり易い素質ということです。つまりなり易い素質を持っている子が何らかのストレスでなるのです。その原因の一つに母親か父親の強制にあります。
食物アレルギーは、多くは母親による食事の強制が主な原因です。3歳以下では必須食品だけにして、しかも食べるか食べないかは子どもの自由にして下さい。

食べたくない時に食べることを強制しないでください。繰り返されているとその内に嫌になり、最後には体が拒否反応を起こします。それが食べ物アレルギーです。

なぜ何でも食べなければいけないのでしょうか。なぜお腹が一杯なのに食べ残してはいけないのでしょうか。牛乳は飲まなければいけないのでしょうか。生野菜を食べなければいけないのでしょうか。バランスのとれた食事を毎食取ることが人間にとって必要なのでしょうか。そんなことはありません。

自然界には特定のものしか食べない生き物たちが一杯います。自然界の動物たちは、体に必要な栄養素が不足すると、それを食べようとします。肉食動物は、植物を食べない代わりに動物の内臓を食べます。内臓(特に消化管)にビタミン類が豊富に含まれているからです。
また塩分が不足すると、岩塩などを食べに行きます。不足する栄養分を美味しく感じるようにできているのです。 栄養学がなくとも、人類は10万年以上生きて、進化してきました。

自然界の動物たちは、自分の体に必要なものを必要なだけ食べています。食欲が満たされるとそれ以上は食べません。人間も本来はそうなっているはずです。大人でも食べたい物や食べたい時がいろいろ変わると思います。それが自然なのです。

☆私が別のグループで支援していた福島から避難した母子家庭の話です。多くの食べ物にアレルギーを持っていると母親から聞かされていた幼児が、母親が入院したために児童相談所に入所したと聞いたのですぐに問い合わせましたら、何でも食べていて元気ですという回答が来ました。母親から離されたら食べ物アレルギーが消えてしまったのです。

☆甘い食品は子どもには必須です。脳の代謝にグルコースが必須で、子ども特に年少ほど脳の発達が早く、大量に必要とします。食事の中に甘い食品を必ずいれましょう。嗜好食品(例えばチョコレートやコーラ)は3歳過ぎからにしましょう。味を覚えさせないことです。
多くの食物アレルギーは成長と共に軽くなり、大人になると解消していきます。

◎アトピー性皮膚炎は、乳児から始まり、どの年齢でも大人になってからでもなります。いずれも素質を持った人がストレスで発病します。
アトピー性皮膚炎は、いやなことを我慢していると皮膚がかゆくなり、皮膚をかきむしるからなります。例えば、生後1、2か月では触ったり抱いたりされることを赤ちゃんが嫌がるとなります。それをやめてもらうだけで湿疹が出なくなります。湿疹ができたらステロイド軟こうでかゆみを抑えてかかないようにして治します。毎日2週間使って4、5日休みます。それで後続の湿疹ができなければ、1か月以内にきれいに治ります。アトピー性皮膚炎は赤ちゃんの肌の手が届くところに湿疹ができることが特徴で、オムツの範囲はきれいです。

◎同じストレスでも他の赤ちゃんはアトピー性皮膚炎ではなく、喘息様気管支炎になりますし、また別の赤ちゃんは、免疫が低下してRSウイルス感染症や溶連菌感染症、敗血症、髄膜炎、脳炎になったりします。その違いは赤ちゃんが両親から受け継いだ遺伝子によるものです。遺伝子の多くはスイッチが入らないと動きだしません。スイッチを入れるのがストレスです。遺伝子によってアトピー性皮膚炎になるのか喘息様気管支炎になるのか免疫低下になるのかなどに分かれます。遺伝子を持っているだけでは病気になりません。

◎喘息様気管支炎になる子は、3歳過ぎるとストレスで気管支喘息になります。
3歳頃には俗に反抗期と言って自己主張が強く、言うことを聞かなくなります。その時に親の権力で無理に言うことを聞かせようとすると気管支喘息を発病します。この時期以後成人になるまでのいつでもストレスにあうと喘息が出ます。思春期に自分の思うように生きることができると一時的におさまりますが、成人になってからもストレスにあうたびに喘息発作を繰り返すようになります。

◎アレルギー性鼻炎や花粉症も同じです。よく花粉症は、今年は大丈夫とか、今年はひどいとか言いますが、それは花粉の多寡のせいではなく、ストレスの程度によるものです。
一般のアレルギー性鼻炎は、ストレスでなります。花粉症は花粉に敏感な人がなります。
免疫療法と言って、花粉への感受性をやわらげる治療法がありますが、一時的効果で、ストレスがなくならなければ、別の花粉で発病します。

☆アレルギー疾患には、私はどうしたらストレスを回避するか対策を教えて、自分の努力で治すことを教えます。ポイントは、こころ(気持ち)の持ち方を変えることです。嫌なことでも、無視するか、「まあいいや」と受け流すか、「そういうものなんだ」とか、「そういう人だからしょうがないさ」と気持ちの持ち方を変えることです。そのことを考えて頭の中に残さないことです。小学校上級から中学生以上には、この方法で効果があります。30歳までは、自分の気持ちを切り替えることかできます。しかし「相手が悪いのに、なぜ私がそれをしなければいけないのか」と思ってしまうと治りません。同じグループに居るある人があなたにとってストレスでも、他の人にはストレスでないならば、ストレスでない人の接し方、対応の仕方、気もちの持ち方をまねすればよいのです。いじめや意地悪は別です。
乳幼児期から小学校低学年までは、ストレスの原因を探して、それを無くすことです。ストレスの原因が家に無ければ、保育園や幼稚園、学校、学童クラブなどになります。いじめにあっていたのに、親に言わず、他の子の親から判ったということもあります。いじめ対策は父親の仕事です。いなければ身内や母親の友だちの男性が必要です。男が出ていかないと解決しません。ジェンダーに関してはまだ日本は発展途上国です。

◎卵アレルギーは、生後1歳前に生卵や半熟の卵、特に白身を食べさせるとなります。大人になると解消します。

◎牛乳アレルギーも、生乳を飲ませるとなりやすく、牛乳を完全に煮沸するとなりにくいです。これも大人になると治るようです。牛乳を飲んで下痢をするのは、乳糖不耐症でアレルギーではありません。これは遺伝で両親のどちらかから受け継いでいます。これは治りません。

〇じんましんも食物アレルギーですから、治ることができます。嫌いなものに出やすいです。うるしかぶれも、催眠療法下で「うるしです」と言って水をぬると、かぶれます。うるしをぬって「水です」というと9割はかぶれません。じんましんも同じです。だから同じ物を食べても出る時もでない時もあります。

◎発達障害も同じです。遺伝的な素質を持った子が、そういう環境に置かれて、親との交流が無い育てられ方をすると、なると思われます。
待ち焦がれた子どもがやっとできた人、好きな人の子どもができた人、子どもが欲しくて妊娠した人は、そうなりません。子どもが生まれたら、子どもが可愛くて目が離せません。少しでも泣いたらすぐ反応します。
赤ちゃんが泣くことをうれしく思わない母親が問題です。そんな人は滅多にいませんが、いるのです。それは望まない子どもを産んだ時です。子どもが欲しくないのに、避妊しないために妊娠した人もそうです。

〇発達障害とは、普通の発達が達成されずにいる、まだ発達途上にある子どもです。それは主にコミュニケーションの障害と考えられています。母親の胎内にいた時は、母親と感情は一体ですが、生まれると離れます。出生後独立し、親と交流します。親との交流でこころの交流が必要です。こころが通じ合い、交流することが赤ちゃんの発達を助けます。

乳幼児精神科医渡辺久子さんは、それが大切な時期つまり、授精後から千日という時期を重要視しています。その時期に、良い母子関係をもつことが大切と言います。乳幼児精神科医牧真吉さんは、笑顔(表情)による交流と言います。言葉が生まれる以前の関係で、相互の交流が必要と言います。

赤ちゃんは、その目のあいさつの2秒の遅れを嫌がるといいます。赤ちゃんがこちらを見たり、泣いたりしたら、すぐ目を合わせることが大切です。そして目で会話をします。言語でないことを2秒反応しないことは、長くて絶望的だと言います。2秒間も目を合わせても反応しなければ、大人でもおかしいと思います。

人は、人の遺伝子を持ち、人に育てられることで、人間になるのです。生物学的に人になるのではなく、社会的に人になるのです。赤ちゃんは、社会の赤ちゃんです。社会に育てる義務があるのです。社会の最小単位が家庭です。親は社会から赤ちゃんの子育てを任されているのです。本来は子育ての費用や教育費はすべてを社会が負担すべきものなのです。

赤ちゃんは、生まれるとまず目で会話をします。そしていつも気持ちよくしてあげていると、親の愛情を感じます。赤ちゃんに声をかけると、自然に顔や目つきや仕草もその様になります。そしてそれが伝わります。赤ちゃんが目をあけたらすぐ目を見ましょう。いつも赤ちゃんの目を見て下さい。そして目で合図をします。こころが思ったことが目に現れます。それが赤ちゃんに通じると、赤ちゃんが返事をしてくれます。それにまたこちらが反応します。

だから授精後何日目からかわかりませんが、赤ちゃんはだんだん感ずるようになり、母親の胎内で成長します。そして生まれ、母親や周りの人たちと交流し、成長していきます。

そして生後2年までに子どもの性格の基礎が決まります。今までは遺伝的と考えられていたことでしたが、そのほとんどがこの時期に決まっていたのです。だから虐待を受けた人は、子どもに虐待をしてしまう連鎖をつないでしまうのです。
発達障害の子もこの時期に上手に育てることが必要なのです。でもどの子がそういう素質のある子であるかは判りません。育っていない所を修正するには、年齢が低いほど治しやすいです。

発達障害は、コミュニケーションの「障害」というよりも、コミュニケーションがうまくできない子で、それはうまくリードすればできるようになるのです。それはうまく通じるところで、交流していきます。それを繰り返して成長をはかります。

発達障害の子は大人になるのが30歳過ぎだと言います。それまでに治すことは、本人の意志があれば可能です。そのためには、本人との交流が必要です。こころがつながらないと上手くいきません。

あなたのこころは生後2歳までの環境や育てられ方によってほぼ決まっているのです。
だから自分では記憶にないことです。この時期までのことは、普通は覚えていません。それは記憶するためには言葉プラスアルファが必要だからです。

*8月3日の総会時資料の一部を改編して掲載しています。

全国の保養受け入れ団体を応援

はちみつ会保養プロジェクト(町田市/東京)

2024年5月実施
http://hachimitsukai.jimdo.com/
保養場所:相模川ビレッジ若あゆ・ネイチャーファクトリー/町田市
人数:42名(保護者20名* うち子ども22名)
対象:福島在住の親子と町田の市民の交流
目的:福島在住の子どもや保護者に、自然に囲まれた環境の中で、のびのびと遊べる時間を提供する。町田市民と福島の人との交流を通して被災地支援に思いを寄せるきっかけを作る。

2024春のんびりキャンプ 母ちゃんず(町田市/東京)

2024年4月 実施
https://karchanz.jimdofree.com
保養場所:春Nature Factory/町田市/東京
人数:春 4家族12名(うち子ども8名)

福島こども保養プロジェクト@練馬

(練馬区/東京) 2024年8月 実施
https://www.hoyounerima.org/
保養場所:埼玉県飯能市の山荘
人数:南相馬市内から、未就学児とそのきょうだい、13名(うち子ども9名)

子ども未来・愛ネットワーク(岡山市)

2024年3月 実施 
https://www.facebook.com/kodomomiraiai
保養場所:岡山県青少年教育センター閑谷学校 備前市/岡山県
人数:20名(うち子ども15名)

ウエルカムかさおか(笠岡市/岡山県)

2024年8月 実施
https://welcomekasaoka.jimdofree.com/
保養場所:美星ふれあいセンター 笠岡市/岡山県
人数:4家族(うち子ども8名)

さよなら原発ママパパ美作ネットワーク(津山市/岡山県)

2024年7、8月 実施
http://www.mamapapa-mimasaka.com
保養場所:倭文の郷・久米ロッジ 津山市神代/岡山県
人数:11家族30名(うち子ども20名)
*ウエルカムかさおかと日程を調整している

せとうち交流プロジェクト(瀬戸内市/岡山県)

3月〜4月 実施
http://setouchi-kouryu-project.com
保養場所:ユースセンター牛窓 瀬戸内市/岡山県
人数:家族での参加・20名(うち子ども13名)

ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ(京都市)

2024年8月 実施
https://55wakuwaku.jugem.jp
保養場所:京都府南丹市園部町 民家
人数:20名(うちこども15名)

明石たこ焼きキャンプ(明石市/兵庫県)

福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト
https://takocamp.exblog.jp
保養場所:カトリック淳心の家(姫路市/兵庫県)
人数:4家族13名(うち子ども8名)

心援隊(松原市/大阪府)

2024年7、8月実施
https://shinentai.net
保養場所:『モモの家』吹田市/大阪府
人数:3家族8名(うち子ども5名)

福島の子どもたちを守る会北海道(札幌市)

2024年7、8月実施
http://fukushimakids.org
保養場所:札幌大学セミナーハウス(札幌市)
人数:18名(うち子ども12名)〜夏の保養
*今年の春休みまでは自前の保養施設「かおりの郷」で保養を実施。

富良野親子保養合宿〜ふらのチャリティウォーク(富良野市/北海道)

2024年8月 実施
https://www.facebook.com/furanocharitywalk/?locale=ja_JP
人数:3家族9名(うち子ども6名)
保養場所:大雪青少年交流の家及び白金野営場 美瑛町/北海道
*今回のテーマは大人が口出ししないで子どもの力を信じること。子どもたちだけで作った豚汁とビールの空き缶のご飯が一番上出来で、大人はぼやぼやしていられないとあせりました。古シャベルだけでずっと集中して遊んだ3歳児くん、森を駆け抜けた中学生くんの弾ける笑顔、自然の中で遊ぶパワーを再確認できた保養でした。

(注)※対象、目的は、どの保養団体にも通ずる面があると思い、1か所のみ掲載。
※コメントも1か所のみ掲載しました。
※各団体とも、保養を長く続けており、最初のころ保養した子どもたちが成長し、ボランティアとして参加しているとのことです。*一例として3人の元保養者が含まれています。
※各団体のwebページにたくさんの保養の写真が載っています。子どもたちの笑顔見てください。

保養受け入れ団体の応援について

当基金設立の翌年2012年に、他団体と協力して、「沖縄・球美の里」の保養プロジェクトを支援し始めました。みなさまからの寄付金は子どもたちの健康を守る活動に使ってほしい、というお気持ちだと理解してのことです。みなさまのおかげでこれまで多くの福島の子どもたちが球美の里の保養に参加*しています(*2024年8月12日現在 子ども3,990人 保護者1,070人)。しかし、コロナ禍、子どもたちだけの集団保養はできなくなりました。いずれ、前のような状況が戻ると思っていましたが、戻りませんでした。
現在、球美の里は「いわき放射能市民測定室たらちね」が運営し、ファミリー保養に限って実施しています。
そんなとき、全国で保養を受け入れている団体の運営が資金難により継続が厳しい状況、という報道を目にしました。私たちの団体は、チェルノブイリの保養を学び健康回復における保養の大切さを知っています。ベラルーシでは事故から38年が経過した現在も国が保養を全面的に支えています。もちろん、世代は変わっていますが、世代を超えても放射能の被害は続くためです。日本もいずれ国が保養に取り組むのではないか?という期待がありましたが。
今後もあきらめることなく、国に関わってもらえるよう働きかけもしながら、福島の子どもたちが保養を継続できるようみなさまと共に受け入れ団体を支えていきたいと思います。

お知らせ

  • 今年の総会は昨年に引き続き志木市内で開催しました。1面にも掲載しましたが酷暑の中、多くのみなさまに参加していただき資料が足りなくなるという事態になり、ご迷惑をおかけしました。市内在住者の他に、埼玉県内、東京都、遠くは静岡県から参加された方もいらっしゃいました。映画と短編の動画、それぞれに好評でした。黒部ドクターの話は短時間でしたが、この誌面に、当日の資料を改編した読み応えのあるテキストを掲載しました。
  • 戦時下に置かれているウクライナ、パレスチナ、いっこうに和平に向かっての希望が見えません〜これは前号にも書いたことですが、事態は変わっていません、それどころか多くの子どもたちが亡くなっています。世界は私たちは何をしているのでしょうか?
  • 『パレスチナとウクライナ・戦禍の子どもたち 絵画と写真展』が8月27日~9月1日まで名古屋市民ギャラリー栄にて開催されました。「非核・平和を求める写真・絵画展」事務局*主催の久しぶりの展覧会の開催。多くの人たちに観に行ってもらいたいと願っていましたが、台風の影響により、後半の参加者は少なかったようです。でも、中学生、高校生など若い人たちに少しでも繋がったならうれしいですね。「パレスチナ子どものキャンペーン」「チェルノブイリ救援・中部」「チェルノブイリ子ども基金」提供の絵画・写真は直接現地団体より取り寄せたものを展示。それと写真家 森佑一氏の写真が展示されました。
    *問い合わせ先:0561−58−7568
  • チェルノブイリ子ども基金制作のチェルノブイリ39周年救援カレンダー、今年も間もなく出来上がります。今年もウクライナの子どもたちの保養が実現しました。その写真も使われています。ベラルーシは「ナデジダ(希望)」で保養する子どもたちの写真です。同封のチラシをご覧ください。毎年、収益金から福島の子どもたちにもカンパをいただいています。
  • 当基金の活動を紹介する三つ折りパンフができました!今回1部同封させていただきました。さらに、ボランティアさんの協力により英文のパンフもできました。どちらもホームページからダウンロードしていただくこともできます。紙の三つ折りパンフを必要数お送りすることもできます。 よかったら周りの方に広めていただけましたら幸いです。
  • みなさまにお届けしているニュースレター、活動報告・寄付金の使途報告を基本としています。webで見るので送付不要という方は事務局までお知らせください。また、一律に振込用紙を同封していますが強制するものではありません。すでに会費、カンパを振り込まれた方はご容赦ください。webにも掲載します。写真もカラーでご覧いただけます。

パレスチナ子どものキャンペーン 提供
上の右端:ガザへの救援船が攻撃された。トンネルでは人が死んでいる。ろうそくの灯りでラマダン(断食祭)の食事をする家族。
下の右端:街は封鎖され、人々は自由に出入りできません。窓が黒いのは、停電で部屋が暗いことを意味しています。
パレスチナ子どものキャンペーン 提供

未来の福島こども基金 規約

1、本会の名称 :「未来の福島こども基金」
2、目的: 福島原発震災に遭った被災者を支援するため、情宣・募金活動を行う
3、会費 :3000 円、学生会員 2000 円、維持会員 1 万円の年会費を納入する*
4、役員: 代表 1 名、若干名の世話人をおく。世話人の中から会計、監査を選任する
5、会員はそれぞれ可能の範囲で創意工夫して自由な支援活動を行う
6、本会は印刷物、メール、ネット、等の媒体を通じて適宜活動報告を行う
7、毎年 1 回、総会を開き、事業および会計について報告する
8、事務局:埼玉県志木市
9、活動開始:2011年6月1日より(会計年度6月1日より翌年5月31日まで)

※会費には寄付金も含まれます。
※経費は募金額の1割以内をめどとする。
※当基金は任意団体です。税金控除の対象となりません。ご了解ください。

継続支援のお願い

引き続きのご支援をお願いします。すでに振り込まれた方はご容赦ください。
また、チラシをまわりの方に広めていただける場合、枚数をお知らせください。お送りします。どうぞよろしくお願いいたします。

寄付金、会費の振込先

郵便振替口座
振替口座: 00190-0-496774
口座名: 未来の福島こども基金
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店番 : 019
店名 : 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
預金種目 : 当座 0496774

三菱UFJ 銀行 神楽坂支店
支店名: 神楽坂支店(支店番号:052)
口座名: 未来の福島こども基金
口座番号:普通口座0064011

海外から送金の場合 – Remittance from Overseas
– Remittance from Overseas
BENEFICIARY’S BANK/ACCOUNTBANK:
THE BANK OF MITSUBISHI UFJ, LTD
3-7, KAGURAZAKA, SHINJYUKU-ku,
TOKYO 162-0825, JAPAN
BENEFICIARY’S BRANCH:KAGURAZAKA BRANCH
SWIFT/BIC:BOTKJPJT
ACCOUNT NAME:Fukushima Children’s Fund
c/o Mukai Tate 2-3-4 409 Shiki City Saitama.
353-0006, JAPAN
ACCOUNT NUMBER:052-0064011

未来の福島こども基金
HP:https://fukushimachildrensfund.org/
FB:facebookページ
事務局:〒353–0006 埼玉県志木市館 2-3-4-409 向井方
TEL 090-3539-7611 FAX 048-470-1502
Eメール:info*fukushimachildrensfund.org
(Eメールの「*」は「@」に変えてください)

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