2025年4月発行ニュースレターNo.30

チェルノブイリから学び、子どもたちを守る 未来の福島こども基金ニュースレター

未来の福島こども基金ニュースレター
from chernobyl No.30 2025年4月発行
チェルノブイリから学び、子どもたちを守る

ニュースレターNo.30のPDF(7.9MB ※読み込みに時間がかかります)はこちらからダウンロードできます。
みなさま、ぜひご覧になってみてください!

福島第一原発事故から14 年
なかったことにされる人びと

志田弘子画

志田弘子画

東日本大震災・福島第一原発事故から14年
3月11日に思うこと

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね
理事長 鈴木薫

https://tarachineiwaki.org

「あの日」から14 年が経ちました。
今年の 3.11 は、例年とは違う感覚がありました。震災の日の記憶が、より鮮明に浮き彫りとなり、そこだけが切り取られたような印象です。月日が流れ、他の記憶は薄れていく中で起きることだとしたら、私の中で震災の記憶は突出したものなのだと、そんなことを思いました。

メディアのこと

 3月11日の夕方、NHK ラジオ「N らじ」でたらちねの活動が紹介されました。足掛け14年の活動の中で、たらちね本体がNHK に取り上げられるのは初めてのことです。過去に沖縄・球美の里が取り上げられたとき、「たらちねの活動もぜひ」と取材を受けましたが放送の許可がおりず、たらちねの部分はカットされました。

 その他、NHK に限らず、似たようなことは山のようにありました。たらちねは、海外のメディアによる扱いは大きいのですが、国内では全く放送されず、私たちも、それが当たり前という感覚でした。

 この度の放送は、NHK のOB の方がご尽力くださって配信にこぎつけました。関係者のご尽力と合わせ、14年継続したという年月がこの流れをつくったのかもしれません。

保養と子どもたちのこと

 認定NPO 法人 沖縄・球美の里からたらちねが事業を引き継いで丸2年が経ちました。球美の里では、コロナ禍から保養の形を変えていきましたが、福島の現状を考える観点からもこの変化は妥当だったように思います。

 高線量の大熊町や双葉町は、近年、立ち入りが許可され、住宅ができて人々が住み始めています。元々の住民ではなく、県外から移住する人たちには、多額の補助金が支給されます。新しく事業を始める人には支援金もあり、ビジネスチャンスを求めてやってくる若い世代の中には子連れの人もいます。子どもたちは、年間受託線量が20ミリシーベルトで管理される土地の立派な学校に通います。年間受託線量20ミリシーベルトは、通常の20倍の放射線量です。移住する人々は「大丈夫かな?」と心配しつつも、町の移住コーディネーターに「大丈夫ですよ。だいぶ下がりましたから」と説明を受けて、それを信用します。とはいえ、放課後、子どもたちを外でのびのび遊ばせることはしません。外遊びができる環境でないことは、漠然と認識しているのだと思います。

 「外遊びができない、させない」というフレーズは、球美の里が転地保養を始めた頃、保護者からよく聞いた言葉です。福島は、今も、あの頃と同じ状態が続いています。

 そうした中、「汚染については語ってはいけない、言わないほうがいい」という空気感も変わっていません。大人も子どもも、こころの井戸の深い場所、無意識の中に、疑問や不安や心配を押し込めて、平気な顔で元気に過ごしています。球美の里の保養では、その井戸の蓋を開けて「話したければ話せばいいし、黙っていたいなら、それでもいい」という寛容さを軸に保養が展開されています。その安心感に心身を委ねて休息するのは子どもや母親だけでなく、しがらみの多い男社会で、気を遣って仕事に励む父親たちです。

 私は、たらちね開所後、いろんな夫婦を見ました。被曝の心配をする妻を馬鹿にしたような目でみる夫が、「子どもは心配だからペットボトルの水を飲ませているけれども、夫には水道水を飲ませている」という妻の言葉を聞いて、「俺にだけ何でだよ」と怯えたように怒り出す姿を見ました。

 また、自家栽培のきゅうりの測定をしたいと希望する妻を「余計なことをして」と怒り、妻を残して自分だけ車で帰ってしまった夫もいました。

 それらの、いろんな夫のみなさんの威圧的な態度に私も腹を立てたりしましたが、同時に男の人も社会の中で、心配や不安を素直に話せない大変さがあるのだろうと同情もしました。みんな、それらを我慢して、「無かったことにする」社会で生き抜いてきたのだと思います。

 球美の里の保養がファミリー保養になり、父親のこころが休息できて夫婦の関係にゆとりが生まれることは、子どもにとって何よりの安心です。

 ちょうど、そういう保養が必要な時期になっていました。球美の里の保養者アンケートを読むと「お父さんたちって、こんな素直な文章を書くんだな」と思うことが増えました。今の親世代は、2011 年当時、未成年から20 代前半ぐらいだった人たちがほとんどです。親も、子どもとして震災を経験したのだと思います。

 今、放射能汚染の真只中にいる人、14年前に体験して、その不安を押し込めていた人、福島にはいろんな人がいます。子どもたちの安心のために、球美の里のファミリー保養は役立っていると実感しています。

2024年尿中セシウムの測定結果のこと

 たらちねでは、2015 年から尿中セシウムの測定を行っています。福島県内外の測定希望者から依頼を受け、NPO 法人新宿代々木市民測定所と連携し測定しています。この12 年で、測定累計数は1300 件以上になりました。震災、原発事故から14年になりますが、福島県内及び、近隣県の人々からは検出率が高く、環境汚染の爪痕が深いことを感じます。

 また、同じ地域の大人と子どもの比較では、子どもの方が検出率が高いこともわかります。子どもは、背が低く、外の活動も活発なので、舞い上がるチリやホコリを吸い込みやすいことが原因の一つと思われます。さらに、大人のように食べるものを自分で選ぶことができず、選択の自由がありません。出されたものを食べるようになるので、そういう理由もあるかもしれません。

 2024 年にもたらちねで尿中検査を実施しました。体内に取り込まれた放射性物質は日々の新陳代謝の中で排出されます。一度体内に取り込んでしまったら一生抜けないということではありません。たらちねでは、この測定結果をもとに日々の生活や食事に気をつけていただくよう説明をしています。

 同じ地域、同じ年頃の子どもは、行動パターンも似ていると考えられますが、値が出ている人と不検出(その測定器では測れない下限値以下の値であること)の人がいます。この結果から、「ちょっと気をつけて生活する」ことがとても重要なことがわかります。現在も福島県のみならず、たけのこや山菜など食品の出荷停止がある地域は広く、そんなことにも気をつけてもらえると内部被曝を軽減することに役立つと思います。

 放射性物質は風に乗って遠くまで飛びます。福島県内だけにとどまるものではありません。関西の人と比較すると、東京の人の検出率も高いと感じます。あくまでも参考程度のデータですが、福島第一原発との距離を考えても、それは納得のいく結果だと思います。

 原発事故により汚染された環境が人体に与える影響は、まだまだ大きいことを、この測定結果から知っていただき、それぞれが被曝防護に努めるよう、これからも働きかけていきたいと思います。

中間貯蔵施設の汚染土のこと

 2025 年2月24日、双葉町の伊澤史朗町長が「中間貯蔵施設の供用開始から10年が経過し、最終処分や再生利用について理解情勢が進まず危機的だ。まずは双葉町を含む福島県内での再生利用受け入れを検討する必要がある」と発言したニュースの記事を読みました。

 これを読んだ人の中には、福島の人が自己犠牲を払い汚染土の消費に尽くすような内容だと感じる人がいるかもしれません。(別のニュースでは、再利用する地域は双葉町とありました)

 でも、再利用される汚染土は8000Bq / kg 以下のものです。原発立地町である双葉町のほとんどが現在もそれ以上の高濃度の汚染を受けています。高い汚染の土の上に、それ以下の値の土を再利用しても、数字上はその地域が汚染されたことにはならず、こんな発言やニュースに何の意味があるのだろうかと思いました。

 これは、あくまでも伊澤町長の個人的な意見とニュースにはありました。でも、果たしてそうでしょうか? 今、埼玉県や東京都で汚染度の実証実験をしようとしている地域では、住民の反対運動が起きています。中間貯蔵施設にある汚染土を双葉町で消費する、この発言により、反対運動をされている住民のみなさんが「福島の人の自己犠牲」を知って心を傷めることもあるかもしれません。この
ことは、それを促すのが狙いなのか? など、全体の流れに不自然さと違和感を感じました。だとしたら、伊澤町長の発言は、その心情的流れをつくる大きなきっかけになります。
 放射能は見えない、におわない、感じない環境汚染です。測定して数字を知らないまま、つくられた物語に巻き込まれていくと、誤解の中でことが進む危険があると思います。原発事故の検証や、先
の未来を考える上で、測定がいかに大事なものかを考えさせられるニュースでした。

防災ブック Haha の書

 今年、たらちねでは「Haha の書」という防災ブックを作成しました。これは、原発事故防災のための本です。小さい絵本のようなあつらえで、日常の中で眺めていただけるようになっています。私たちが体験したエピソードと防災の心得、それに添った素敵な絵がついています。
 原発事故は、もう二度と起きてほしくないのですが、大きな地震や津波の心配が絶えない日本の国では、大震災の複合事故として必ず原発事故を想定しなければなりません。そのための備えです。
「Haha の書」は当面、無料で配布する予定です。
 関心のある方は、たらちねにお問い合わせください。

防災ブック Haha の書

問い合わせ先

・メールでのお問い合わせ:
たらちねホームページ問い合わせフォームから
https://tarachineiwaki.org/contact
・お電話でのお問い合わせ:0246-92-2526
・たらちねホームページ:
https://tarachineiwaki.org
たらちねは、2025 年も応援してくださる人々と力を合わせ、
子どもたちの健康と未来を守るために頑張って活動していきたいと思います。

「2024 年たらちね活動報告書」 
https://tarachineiwaki.org/wpcms/wp-content/uploads/houkokukai_20250309.pdf

志賀原発の傍らで

加賀友禅作家・脱原発や平和への思いを込めた動画『その日はいつか(希望のもしも)』制作 志田 弘子

以前、金沢市の平和団体から、「志賀原発の経緯などを話して…」と言われた時、あまり知られない初期の反対運動の事を知りたいと思いましたが、伝える人もなくなり、どうしたらよいのか困りました。
 けれど、地区の争いの中で、隠されるようにしてあったのです。反対を続けた漁師達が、漁をする武骨な手に、夜、ペンを持ち綴った日誌が…皆に伝えようと作り続けたチラシが…もう鬼籍に入られた方達の闘いに、背筋が震えるような感慨の中で分厚い資料を読みふけりました。

志賀原発初期の抗い

 今から60年前、突如降ってわいた北陸電力の発表に驚いた富来町福浦地区。行政の圧力にも、脅しにも、一致団結して揺るがなかったその地区の団結力に、諦めた北陸電力は、隣の志賀町赤住地区を攻めました。白紙委任状で第1次買収をされて、しかし第2次買収には、町の80%の土地や海岸線が奪われることに大きな反対の声が上がり、住民投票が実施されることになったのですが、男たちが遠洋に漁に出ている時期や記名投票で反対の人たちをえようともくろまれた投票でした。
 それにもかかわらず遠洋からの不在者投票が寄せられ、三分の二以上の反対になる事を恐れた県や町当局が、「住民の融和が乱れる」との理由で、その投票箱を開かずに燃やしてしまう暴挙に出たのです。悔しくて母ちゃんたちは泣きました。そればかりか最後まで反対を続けていた西海漁協に守るべき県の漁連自体が、漁法の許可を与えなかったり、他漁協に見せ金を積み、西海を仲間外れとしていじめ抜き、挙句の果てには、資源の調査の為だけと偽った海洋調査を県が行ない、それを安く北電へ売り渡して建設GO サインとなった歴史等々。
 ほとんど隠されるようにされていた歴史に…「海を・子ども達を守ろう…」「天を恐れよ」と、先を歩かれた方達の深い苦悩がまざまざと浮かび上がったことでした。

志賀原発団結小屋

 チェルノブイリ事故を知って、その原発というものの建設計画が10キロのところにあることを初めて知った無知な母でした。「子ども達は大丈夫? 原発のことをもっと知りたい」と、団結小屋の片隅に座り、知ったことを一人チラシを作って配ったのが、人前で話した事もない者の初めての社会への訴えでした。
 志賀原発横の団結小屋は、そこで寝泊まりし、立地調査などを見張った場所です。昨年2024 年の能登地震でトイレなど壊れたのですが、頂いたカンパで新しく据え付けました。行く度にフェンスを隔てた原発の高台から双眼鏡が光ります。
前に海の広がる見晴らしの良い場所です。初期の闘いの方達と共に、昨年暮れに亡くなられた、やはり半生を志賀原発反対にかけられた方の写真も並べました。志賀原発は建ってしまいましたが…生涯をかけて戦い続けた方がおられた歴史を思うと、身が引き締まる思いです。当時を伝える大切な建物、守ってゆきたいと思っています。

能登地震のこと

 2024 年元旦、かって経験したことのない大きな揺れに震えた日、あたりを揺るがす消防車や救急車のサイレンと赤い点滅で前の道路の渋滞が続き。10キロの志賀原発へ、ヘリの爆音が響きました。
 湧き水を汲み、川で洗濯を続けた日々、2キロ先の、町並みを見た衝撃は忘れられません…車ごとつぶれた家々が連なり、道路に横たわる大きな屋根の数々、呆然とする人たち…。裂けた道路を越え、能登半島の先端の珠洲市の津波の後を見た時の衝撃も…。見渡す限り、ほとんど形を成さない瓦礫の山が積み重なっていて、あまりの無残な光景に、言葉を失いました。
 手が付けられない捨て置かれたままの状況は、能登のいたるところで見られ、その中で、苦しみながらも、何とか前を見ようとしていた9月末、観測史上初めての豪雨で、再び押し流された能登…。ほんの少しでも土に触れ、草をむしる喜びを知る人たちが、故郷へ帰ろうと動き出した矢先でした。濁流に家も畑も流され、山は崩れ、倒れた木々が川を埋め、地震で何とか残ったわずかなものさえ押し流され、どうしたら再び起き上がれるのか・誰もが、深く沈み込むばかりでした。
 能登の先端、珠洲市にもし原発が建設されていたら、震源地の真上、5㍍近く隆起した大地の上で無事であるはずもなく、半島に入り込めないまま、救助さえできずに見捨てられることもあり得たのです。断ち切られた道路、孤立した集落、連絡のつかない住民…ガラスが割れ、屋根も壊れ、隙間風が吹き込む家…避難の方法がことごとく封じられたことにも目を塞ぎ、再稼働にがむしゃらに進む国。 福島のあのすべてを失う悲しみと、血を吐くような選択、自然が敵となってしまったなかでの底知れない苦しみを忘れてはならないのです。
 今回能登を襲った大地の揺れが、どこででも起きうる地震国日本で、何億年もかけて放射能が減りいのちの星となった地球に、制御できない天の火(核)に取りつかれ手離せない国や力ある人達…何を次の世代の子ども達に残してゆこうとしている
のか…推し進める無謀さが信じられません。

いのちの半島・能登

 けれど、地震の後、うずくまる日々はまた、多くの温かさに励まされ続けた日々でもありました。 足りないものは? 何かできることは? 
等々、手を差し伸べてくださる方達が何と沢山いてくださったことか…そうして先の見えない中で、変わらずめぐってくれた季節の支えが、何と大きかったことでしょう。
 畑を耕し、海と共にあり、豊かな恵みを分かち合いながら、暮らしを紡いできた能登。長い時を経ながら、積み重ねてきた伝統や、暮らし…大きな自然の力に逆らわずに、共に生きて、その豊かさも、熾烈さも知り尽くした人達が支えてきた過疎の地に、目先の利益だけを追う巨大な風力発電計画等、自然破壊にも脅かされ、これからの果て遠い道のりに不安は尽きません。けれど 長い時がかかろうとも、乗り越えてくれることを信じたい多くの人達がいます。
人も家も町並みも、これから変わらざるを得ないとしても、守り続けた本当の豊かさに満ちた、香る風の吹くかけがえのないふるさと… 能登は、海も山も…匂うようないのちの半島です。

2025 年3月 志田弘子

子ども応援金
子ども応援金を受けている高校生の声

Hさん

K農林高等学校の生産技術科、畜産・動物専攻(鶏)です。鶏が生まれてから鶏卵が生産されるまでを学んでいます。
鶏の屠殺、解体の実習がありました。命の大切さを学びました。とても辛い実習でしたがスーパーに並んでいる卵、鶏肉が手間隙かかっていること。人間が食するために生まれてきた命をとても大切な命だと感じています。
たくさんの学びがありました。農産物、畜産のすべてが人の手によって、多くの時間をかけて生産されているんだと学ぶことができました。安心安全な食品が生産される事の大切さを学んでいます。
農薬、除草剤、化学肥料、ホルモン剤、ポストハーベスト、土壌汚染、食品添加物、保存料など必要性があって使用されているものもありますが なるべくなら安心安全な食べ物がいいと思います。無農薬、オーガニックがとても貴重なものだと知りました。
日本ももっと安心安全な食品を生産するべきだと思っています。食に携わる仕事ができたらと考えています。たくさんの事を学んでいこうと思っています。ご支援を頂きありがとうございました。

Kさん

子ども応援金を通して応援してくださった方々に心から感謝いたします。現在高校2年生の私は、おかげさまで充実した高校生活を送ることができています。高校2年生は公開文化祭や、修学旅行、体育祭など、たくさんの行事がありました。特に思い出に残っているのは、公開文化祭です。みんなで買い出しに行ったり、アイデアを出しあったり、一つのものを協力して、作り上げていくのが楽しくて青春だなと思いました。どの行事も楽しくクラスや友達との絆が深まって、高校生活の大切な思い出になりました。また、私は美術部に所属しており、今年は油絵に挑戦しました。とても繊細で乾くのに時間がかかるため、なかなか大変でしたが、なんとか仕上げ、美術展に展示することができました。今年で高校3年生になります。今は将来のことを模索中です。楽しみながら勉強してたくさんのことを吸収していきたいです。そして一度きりの人生、妥協せず、諦めず、全力を尽くして楽しみたいです。

Nさん

私は絵を描いて人を楽しませられるように頑張っています。画材などを買えるのも応援金のおかげです。非常に助かっています。不自由なく学校に行けています。今はキャラクターデザインの授業を受けていて、かわいいキャラクターをつくって描いてみました。友達が褒めてくれてとても嬉しいです。今後ももっと頑張って愉快な絵を描いていきたいです。

Rさん

今、私は高校2年生で来月で3年生になります。私が高校1年生の時に生徒が立ち上げたプロジェクト*に参加しました。2年生で本格的に動き出し、校外見学に行きました。栃木県に行って、他校のプロジェクトの発表を聞きに行ったり、博物館に行ってキノコについての展覧会を見に行ったり、キノコにまつわる講演会を聞きに行ったりしました。私の高校がSIP拠点校(理数分野に興味・関心のある生徒に探究活動の機会の提供と継続的な指導を行う)、に認定されたので、プロジェクト活動で発表しに行ったりもしました。夏には国家試験(造園系)を受けて合格しました。最近では校外学習に行き、劇団四季のアナ雪を見に行きました。来月には少し早いですが、修学旅行に行きます。とても楽しみです。今回もまた支援を受け、修学旅行や行事に出ることができるのでとても感謝しています。*堆肥プロジェクト=学校では馬術部があり馬2頭飼育しています。糞廃棄量を減らすために有効活用策を模索する研究をしています。

Oさん

学校では、地域の課題をSNSを使ったりDX化(企業がデジタル技術を活用してビジネスモデルや業務プロセスを改革する取り組み)を使ったりして解決案を考えスライドにまとめて企業や、役場の人に向けて発表をしました。学校の先生だけでなく企業の人からもアドバイスをもらえたので、いい勉強になりました。高専は春休みがとても長いので春休みを利用して、小さい頃にお世話になった保養のボランティアにも行っています。今年は、3月の前半に球美の里の保養ボランティアに行きました。
こどもたちと海に行ったり球美の里の岩山で遊んだり、三線をきいてもらったりしました。少し寒いなか海に入ってはしゃぐこどもたちと遊ぶのはとても楽しかったです。三線は、小学3年生から高校進学で久米島を出るまで、久米島の「なんくる三線」というところで習っていました。久米島にいる間、球美の里の保養でなんくる三線のメンバーとして演奏していました。今回の保養ボランティアで、久しぶりにそのなんくる三線の先生と一緒に演奏できました。保養者さんに喜んでもらえて、とても楽しく、嬉しかったです。
3月の後半から4月にかけては岡山の保養ボランティアに行ってきます。そこでも保養者さんに岡山でリフレッシュしてもらえるように頑張ってきます。

Kさん

未来の福島こども基金があることで学習参考書などを買うことができます。修学旅行費の交通費や現地での必要経費に充てることができました。物価高で日本中の人がしんどい思いを感じている中でこのような支援があることを心から感謝しております。また、避難してからの母親の苦労を目の当たりにしてきました。
そのような中、たくさんの支援をしてくれる人たちに支えられ、たち直り、元気になっていく母を見ることは、とても嬉しく思いました。震災から10年以上も経ったにも関わらず、こうして経済的に支援していただき、支えてもらい、生きてきたこと、感謝の思いでいっぱいです。私が大人になったら支える側になり、誰かの何かの力になれたらと思います。本当にありがとうございます。

Yさん

今年の1月に母が甲状腺がんの手術を受けました。手術後の傷跡や、術後の様子を見ると、母がどれほど大変な思いをしているかを痛感します。小さい頃から母に「定期的に検診に行きなさい」と言われていましたが、今回の母の手術を通じてその言葉の意味を改めて実感しています。
また、球美の里での保養活動や支援金の取り組みが、母や私たち家族にとってどれほど心の支えになっているか言葉では表しきれません。心が休まる瞬間を与えてくれるこのような支援は本当にありがたいと感じています。昨年の春には球美の里でボランティアとして参加させていただきました。これまでに2回訪れたことはありますが、ボランティアとしての参加は初めてでした。小学生たちと一緒に遊んだりお話ししたりする時間はとても楽しくて心が温かくなるひとときでした。たくさん遊んだ小学生たちの笑顔を見ることで私自身も元気をもらい支えられました。
母の経験や球美の里でのボランティアを通じて支え合うことの大切さ、そして健康の重要性を強く感じています。これからも
家族や周りの人たちと一緒に支え合いながら前に進んでいきたいと思います。

子ども応援金について

2023年3月発行のニュースレターで子ども応援金についてお知らせしました。おかげさまで、現在までに38人を支援、2025年3月まで9人が卒業しました。今年度は30人が支援を受けることになりました(病気の子ども支援を含む)。
原則高校生の支援です。当初予定していたより、多くの子どもたちの支援につながっています。さらなるみなさまの応援をお願いします。支援を受けている子どもたちの住まいは、福島県の他、新潟、沖縄、茨城、埼玉、東京など多方面にわたっています。新年度に間に合うようにみなさまに送金しました。次号では保護者の声をお届けします。

保養受け入れ団体〜2025年の活動(昨年支援した団体の今年の予定)

子ども未来・愛ネットワーク 岡山市

https://kodomira.exblog.jp/
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
3/25〜30 終了 子ども13、大人7 玉野市

せとうち交流プロジェクト 瀬戸内市/岡山

http://setouchi-kouryu-project.com
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
3/30〜4/4 終了 子ども19、大人10 ユースセンター牛窓

福島の子どもたちを守る会北海道* 札幌市

http://fukushimakids.org
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
3/28〜4/2 終了 子ども12、大人5 札幌大学セミナーハウス

*福島の子どもたちを守る会北海道では、自前の保養施設を持っていましたが、事情により昨年手放しました。
【昨年に引き続き、札幌大学様には大変ご協力ご支援いただき感謝!今回はアイスホッケーチームが子どもたちにスケートのコーチをしてくれました。
人形劇団エリっ子による人形劇やボランティアの方々による折り紙講習やヨガなど多様なサポートがありました。学生の皆様にも感謝です】

さよなら原発ママパパ美作ネットワーク 津山市/岡山

http://www.mamapapa-mimasaka.com
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
7/25~8/1 親子20 倭文の郷・久米ロッジ

心援隊「2025年夏休み☆親子でひと休み保養」松原市/大阪

https://shinentai.net
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
7/29~8/15 未定 『モモの家』吹田市

福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト 明石市/兵庫

https://takocamp.exblog.jp
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
8/15~18 4家族20 カトリック淳心の家

はちみつ会保養プロジェクト** 町田市/東京

http://hachimitsukai.jimdo.com/
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
5/3〜5 子ども22、大人13 山形県最上のキャンプ場

**地元町田市の施設が使えなくなり、苦肉の策として山形県の線量の低いところを探したそうです。題して「福島の親子・あっちこっちリフレッシュツアー」

母ちゃんず こどもたちの未来をまもりたい 相模原市/神奈川

https://karchanz.jimdofree.com
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
4/2〜4 終了  45 Nature Factory町田

保養の旅えんむすび 奈良市

http://enmusubi2016.blog.fc2.com
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
7/28〜8/1 5家族(大人の単身参加も可) 青少年野外活動センター

福島こども保養プロジェクト@練馬 練馬区/東京

https://www.hoyounerima.org
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
8/1〜4 4組の親子(12〜15) 埼玉県飯能市の山荘

ゴ-!ゴ-!ワクワクキャンプ 京都

https://55wakuwaku.jugem.jp
【保養日程 募集(人) 保養実施場所】
8/13〜19 20 ゴーワク夏の家 

すでに「春休み保養」を実施した団体も含みます。
また、今後予定しているところでも募集を締め切った団体もあります。
それぞれお問い合わせください

イラスト;高木章次

沖縄・球美の里の声

沖縄・球美の里

球美の里では、2024年9月から2025年2月までに、7回のファミリー保養を行いました。各回、2〜3家族約十名が5日間球美の里に滞在して保養、心身をリフレッシュします。

プログラムは海遊び・泥染め・シーサー作りなど。子どもたちのお楽しみのオヤツは、写真の珍しい久米島産の紅芋が出た日もありましたね。

12月にはサンタクロースさんがクリスマスケーキをプレゼントしてくれました。1月には岡山県から、ふくしまの子どもたちの保養キャンプ「せとうち交流プロジェクト」の主宰者が来訪され、素晴らしい唄と津軽三味線を演奏してくださいました!感動。また、いつも、島の方や支援者、ボランティア、保養者から、食材などのご寄贈があり、助かっています。みなさま、ありがとうございます。当基金も11月に除湿機をお届けしました。

右 島の方から産みたてのタマゴ! 左 除湿機

右 島の方から産みたてのタマゴ! 左 除湿機

コロナ禍から始まったファミリー保養も今年2月で55回を数えました。
保養風景のカラー写真はぜひ、「沖縄・球美の里」のSNS
ブログ http://kuminosato.blog.fc2.com/
インスタグラム @kumino_sato をご覧ください。

わたしと解熱剤

重症度判小児科医 黒部 信一
黒部信一ブログ
未来の福島こども基金 代表
チェルノブイリ子ども基金 顧問

 解熱剤について記憶に残るのは、大学時代の小児科の学生実習です。その時の慶応大学医学部の小児科教授は中村文弥教授でしたが、中村教授は解熱剤が嫌いでした。

 その理由は、解熱剤は病気を治している訳ではないからです。当時は病気は症状から診断していましたが、子どもの病気、特に感染症にはその病気特有の熱型があり、解熱剤はその熱の出る形を変えてしまうので診断がつきにくくなります。さらに当時、熱の出る病気は熱をすべて出し切ったら治ると考えられていたので、本来出るべき熱が解熱剤で下げられてしまったらそのぶん治り方(回復または治癒)が遅くなってしまうのです。

 特に中村教授は、麻疹に解熱剤を使うと内攻するから特に危険だと言われました。内攻するとは、熱を出し切れば治るはずなのに、出さずに下げてしまうので、内にこもって重症化するということです。

 だから子どもの患者に解熱剤を使うことは許されませんでした。インターンの時は市橋保雄教授に変わり、解熱剤への制限は緩和されました。外来患者には母親の不安を解消するために頓服(1回だけ)で使うことは認められたようです。

 私もその後、入院患者に対しては解熱剤を使っていません。外来では、母親を説得できない時には頓服で処方したことはあります。しかし、卒業後4年目頃には、きちんと説明をしてほとんど使わなくなりました。

 それで気が付いたのは、熱はどんなに高くなっても腋窩(脇の下)体温で41・2℃以上にはならないことでした。いつも不思議に思っていましたが、それ以上の熱は診たことがなかったのです。

 その理由が判ったのは、小児科学会雑誌に「発熱の病態生理」( 89)、「発熱と解熱剤の新しいメカニズム」(90)という総説が載った時です。体温調節中枢での上限が腋窩体温で41 ・2℃(深部体温で41・5℃)とありました。しかしなぜそれが上限であるかまでは判りませんでした。

 熱射病、熱中症ではそれを超えて死ぬ危険がありますので、水分補給よりも、早く41℃以下に体温を下げることが重要です。ぬるま湯を浴びせて扇風機で乾かします。重症度判定には体温測定が有用です。(蒸発熱を奪われて下がるのです)

 論文を読んでから、子どもだけでなく大人でも解熱剤を使ってはいけないのだと思い、鎮痛剤としてのみ、それも最小限に抑えるよう薦めました。私の薦めで解熱剤を使わなかった人たちには急性脳症などの副作用の被害は出ていないと思います。

 その後、大阪の医療問題研究会の人たちや「薬のチェック」の浜六郎さん、さらに多くの小児科医たちが解熱剤を使わないように薦めるようになりましたが、なかなか広がっていきません。一般には熱は有害なものと思われているようです。

 小児科医では解熱剤を連続して使わないことが多くなりましたが、日本の子どもの8割以上を診療している内科医や他科の医師たちは解熱剤を使い続けています。それで韓国と並んで日本が世界で急性脳症の無くならない国として残っています。

 最大の急性脳症はインフルエンザ脳症です。麻疹や水痘も解熱剤による急性脳症を起こしやすいのですが、これらはワクチンの普及でほとんど病気がなくなりました。今はコロナウイルスによる急性脳症が出ています。

 日本では予防医療により多くの病気が無くなったのに、急性脳症による死者の数は減りません。それは病気の症状というのは入ってきた病原菌などが起こした悪い物であるとの考え方が根強く、熱が出たら解熱剤で下げるという考えから離れられないためです。

 解熱剤の使用が減らないもう一つの要因は製薬企業です。医者が処方する薬代の大部分は薬問屋や製薬企業に入ります。製薬企業は古い薬では儲からないので、新薬を開発して儲けています。薬の売価は原価に比して非常に高く、「薬九層倍」と言われるほど儲かるのです。最近は今ある薬以上に効能の有る薬を開発できず、製薬からワクチンへと転換を図っていますが。

 例えば「ペニシリンV」という古くからある薬は未だに有効で、米国の医学書にも載っていますが、日本では生産されていません。一日分10円以下ですから、世界ではまだ作られています。

 私はいま自分でも、かつ診療中には患者さんにも広域ペニシリンの「サワシリン」を愛用していますが、薬価が1カプセル12円で、1日3回の服用です。ところが「クラビッド」という薬になると1日1回の服用で1錠416 円ですので、多くの医者はクラビットを処方しています。

 コロナワクチンは、世界で数百社が生産を競っています。中国、インド、ロシアは、まず不活化ワクチンを作り、その後、mRNAワクチンへと進めたようです。いずれも効きませんでしたが、副作用は少なく死者も多くはありませんでした。

 日本の医療費が高い理由は、出来高払い制度であるから、そして薬価が高く製薬企業と官学の癒着があるからです。

 製薬企業は効かない抗がん剤を高く売りつけています。効くというのならプラセーボ(偽せ薬)効果(世界平均55%)を超える有効率でないと効果があるとは言えません。(「55% の法則」ガボール・マテ)

 現代医療はもう誰も信用できない状況になっています。それはコロナ対策で明らかになりました。このことについては今、まとめているところです。

お知らせ

  • みなさまにお届けしているこのニュースレターは、活動報告・寄付金の使途報告を基本としています。webにも掲載します。写真もカラーでご覧いただけます。webで見るので送付不要という方は事務局までお知らせください。また、一律に振込用紙を同封していますが強制するものではありません。すでに会費、カンパを振り込まれた方はご容赦ください。
  • 今号では、能登の友禅作家・志田弘子さんから原稿を寄せていただきました。志田弘子さん、哲夫さんによる2人展が開かれます。4/22~27金沢しいのき迎賓館*詳細 https://jarimiti.com/
  • ウクライナの子どもの絵画展が東京霞ヶ関と瀬戸市において開催されました。
    来場者は美しいガラス絵とその横に掲げられた子どもたちのコメントを食い入るように見ていました。東京新聞ロビーの展覧会場には当団体からも当番として参加しました。戦禍の中にいるウクライナの子どもたちは、絵を描いている時、少しでも気持ちが和らいでいるでしょうか?チェルノブイリ子ども基金は画材などの支援を行っています。展覧会の様子はチェルノブイリ子ども基金のブログをご覧ください。
    絵画展開催ご希望の方は絵画展事務局まで。*問い合わせ先:0561−58−7568(瀬戸市)
  • 東電福島原発事故から14年が経過しました。3・11に寄せて、毎年この時期にイベントを行いその収益からカンパを送ってくださる川和保育園父母の会様はじめ団体として取り組んでくださるみなさまに感謝です!個人様からもこの日に合わせてご寄付をいただいています。
  • 3・11事故の東電幹部の責任を問う東電株主代表訴訟の裁判はまだ続いています。6月6日の高裁判決にご注目ください。
  • 子どもたちへの応援金、保養受入れ団体への応援金、今年も支援します。引き続きみなさまからの応援、ご協力をよろしくお願いいたします<(_ _)> 各地の測定室情報は次号に掲載予定。

未来の福島こども基金YouTube

「カテリーナコンサート」
「渡辺久子先生講演会」
「その日はいつか(希望のもしも)」

未来の福島こども基金 規約

1、本会の名称 :「未来の福島こども基金」
2、目的: 福島原発震災に遭った被災者を支援するため、情宣・募金活動を行う
3、会費 :3000 円、学生会員 2000 円、維持会員 1 万円の年会費を納入する*
4、役員:若干名の世話人をおく。世話人の中から代表、会計、監査を総会において選任する
5、会員はそれぞれ可能の範囲で創意工夫して自由な支援活動を行う
6、本会は印刷物、メール、ネット、等の媒体を通じて適宜活動報告を行う
7、毎年 1 回、総会を開き、事業および会計について報告する
8、事務局:埼玉県志木市
9、活動開始:2011年6月1日より(会計年度6月1日より翌年5月31日まで)

※会費には寄付金も含まれます。
※経費は募金額の1割以内をめどとする。
※当基金は任意団体です。税金控除の対象となりません。ご了解ください。

継続支援のお願い

引き続きのご支援をお願いします。すでに振り込まれた方はご容赦ください。
また、チラシをまわりの方に広めていただける場合、枚数をお知らせください。お送りします。どうぞよろしくお願いいたします。

寄付金、会費の振込先

郵便振替口座
振替口座: 00190-0-496774
口座名: 未来の福島こども基金
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店番 : 019
店名 : 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
預金種目 : 当座 0496774

三菱UFJ 銀行 神楽坂支店
支店名: 神楽坂支店(支店番号:052)
口座名: 未来の福島こども基金
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海外から送金の場合 – Remittance from Overseas
– Remittance from Overseas
BENEFICIARY’S BANK/ACCOUNTBANK:
THE BANK OF MITSUBISHI UFJ, LTD
3-7, KAGURAZAKA, SHINJYUKU-ku,
TOKYO 162-0825, JAPAN
BENEFICIARY’S BRANCH:KAGURAZAKA BRANCH
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353-0006, JAPAN
ACCOUNT NUMBER:052-0064011

未来の福島こども基金
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