2026年3月発行ニュースレターNo.32

チェルノブイリから学び、子どもたちを守る 未来の福島こども基金ニュースレター

未来の福島こども基金ニュースレター
from chernobyl No.32 2026年3月発行
チェルノブイリから学び、子どもたちを守る

ニュースレターNo.32のPDF(8MB)はこちらからダウンロードできます。
みなさま、ぜひご覧になってみてください!

子ども応援金プロジェクトを始めて3年
子どもたちが巣立ちます!

たくさんの出会いがあり、この先の未来を見つけることができました。(N・O さん)
3年間で得たものは農業の大切さと、人との繋がりです。(R・N さん)

沖縄・球美の里/久米島

沖縄・球美の里/久米島

東日本大震災・被災地の歴史について

〜たらちね歴史探訪プロジェクトより〜

汚染水を放出する前の工事の様子が生々しく写る。写真:いわき放射能市民測定室たらちね、2023 年5 月31 日

汚染水を放出する前の工事の様子が生々しく写る。写真:いわき放射能市民測定室たらちね、2023 年5 月31 日

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね
理事長 鈴木薫

https://tarachineiwaki.org

歴史に触れるきっかけ

この15年間、被災地で活動する私たちは測定で可視化する科学的なこと以外に、可視化できない人の心の問題を常に感じ続けてきました。
たらちねが被災地の歴史に関わったきっかけは「原発による健康被害を知るための聞き取り調査」でした。これは、事故があった2011 年以降のことではなく、それ以前の原発立地町の健康被害について調査する事業でした。どんな病気があるのか、子どもたちの様子はどんなふうだったのか、などを知るために双葉郡で被災し、いわき市に避難移住してきている人々にインタビューしました。これから先の健康被害を予測するには、過去のことを知らなければならないと思ったからです。
その中で人々から語られる話は健康被害のことよりも、自分たちが幼かった頃のお祭りや地域のつながり、原発ができた頃のこと、祖先から代々言い伝えられている家族の話などでした。そこには、人々が心のつながりを大切に生活を紡いできた様子がうかがえました。

双葉郡の中世から江戸末期の様子

東日本大震災があった地域では、平安時代前期の貞観(じょうがん)11年5月26日に「貞観地震」という災害がありました。2011 年の大震災と同様のものです。福島第一原発の立地町である双葉町や大熊町には、古墳時代の極彩色の壁画が残っていたり、製鉄のタタラの遺跡があったり、その昔は、この土地に大勢の人々が行きかった様子がうかがえます。その後、平安時代に貞観地震が起きて、災害などからの人口減少に至ったことが想像できます。
江戸末期あたりには、この地域は荒れ地だったようです。天命の大飢饉で相馬藩は多くの民を失いました。人口が減ると年貢の集まりも悪くなるため、相馬に人々を呼び寄せる流行歌を作り、遠く日本海側にも広報をしました。
当時、北陸方面には浄土真宗の信徒が多く、宗教で間引きを禁止されており、口減らしをすることができませんでした。長男は親から土地を引き継ぎますが、家族を養うことができない次男三男は、相馬に行けば暮らしていけるかもしれないと桃源郷のようなイメージの相馬に命がけで国抜け(死罪に値する重罪)をしてきたとのことです。中には京都や岐阜、石川、能登、九州からの入植者もいたそうです。
その数が増え、条件の良い土地がなくなってくると、南の荒地である双葉町や大熊町、富岡町などに居住し、必死の思いで土地を耕しました。さらには北海道に向かったという話もあります。

昭和 人々の暮らしと国の関わり

次のページの表は、昭和の双葉郡の歴史です。近代に入り、大熊町には日本でも有数の大規模な炭焼き実験所がつくられました。そしてそれらは燃料として関東に運ばれたそうです。ここの職員は日本全国から集まった人たちでした。
その後太平洋戦争が激化すると、このエリアには、日本軍の飛行場が作られました。その飛行場は特攻隊の訓練所となり、ここで訓練した若者が特攻隊として出撃をしていきます。軍の施設があることから、たびたび米軍による空襲に遭いました。その度に地域の住民が力を合わせ、赤トンボと呼ばれる訓練用の飛行機を林の中に押し込んで隠したそうです。長崎の原爆投下があった日と、その翌日にも大規模な空襲がありました。
当時、幼い子どもだった90代の人がこの時の恐怖を話しています。「夢中で神社の山の上まで逃げた。油に火がついて、燃えるにおいが充満し、とても恐ろしく震えていた」と。
福島第一原発敷地内には磐城飛行場跡の記念碑があります。
「この地起伏少なき松山に、農家散在す。昭和15年4月国家の至上命令により突如、陸軍で飛行場建設決定、住民11戸移転直ちに着工す。当時、工法はトロッコにスコップで手積み、人力で押し逐次軌道延長整地す。作業人夫は請負業者と郡内外の青年団、消防団、大日本愛国婦人会、学徒一般民等献身的勤労奉仕で半ば強制作業で工事が進められた。」との内容が記されています。
「金を与えられ、強制移転させられた。原発事故の時に住んでいた土地には、同じ境遇の家が5件あった」と話される91歳の方もいました。

戦後しばらく荒れ地になっていたこの土地はやがて、堤康次郎氏(西武グループの創業者)が率いる国土計画興行と地元の住民に払い下げられ塩田開発が行われました。当時専売品であった塩は、双葉駅から貨物列車で関東に運ばれて行きました。しかしこの塩田事業も、海水から直接塩が取れるように技術が進んだ結果、数年の後廃れてしまい、再度荒地になりました。炭焼き実験所も、燃料が石炭から石油に変わり閉鎖されました。それでも当時は子どもだった方の中には、「裕福な暮らしではなかったけど、幸せであった」と生活に満足していた話も聞かれました。

その後、福島第一原発建設のために、大規模な土地の買収が始まり、地域の人々は否応なく換地させられました。当時、土地の買収に関わった不動産業者の中には「森不動産」(六本木ヒルズなど、東京の一頭地に立派な建物を所有する)の名も聞かれました。

聞き取りの中では、「土地売買の条件が良かったことと、当時は放射能に関する知識もあまりなかったため、誘致に反対する人はいなかった」また、「東電の年1回の報告会で、安全・安心のアピールばかりで、特に危険性などの説明はなかった」、「当時はネットなんてない時代。情報が入らなかったから、原発ってもんをよく知らなかった」などがありました。

そして、きちんとした地質調査もなくあっという間に建設が決定し、そこから原発ができるまでが早かったと。

換地するにあたり代替え地を求めた方への聞き取りでは、希望する土地を売ってもらえず、なかなか決まらなかったとの話でした。やっと決まった土地は、山・原野であり、インフラもないところで、そこを苦労して開拓したそうです。山を更地にして、井戸を掘り、大工さんが寝泊まりしながら苦労して家を建て、実のなる木を植え、長い年月をかけてやっとできた自然豊かで実りある場所、そこは幸せな場所だったと話していました。

原発建設のため、移転した人の聞き取りでは、「他のここに住んでいる人は、貧乏だったから豊かな暮らしを求めて、原発を受け入れたんだろうというけれど、そんなことを言えるのは、立地に住んでないから言えるんだ」という声も聞かれました。土地を手放した自分たちは、口に出して言えない思いがあるんだと……。また、60代半ばの方は、「裕福な暮らしではなかったかもしれないけど、それが当たり前だったから、貧乏だなんて思ったことは一度もない」と語っています。

福島第一原子力発電所は、東京から北に220㎞離れたところにあります。原子炉から一番近くの民家までは約1㎞で、近くの市街地・浪江町からは約8・5㎞、昭和40年10月現在人口約2万3000 人と記録があります。これは、つまり東京から遠くて、人が少ない地域につくることが立地条件として重視されていたからです。(参考文献:大熊町史第1巻、837 頁)

東電が作っている電気は、福島県民が使うものではなく、すべて関東に送られています。原発事故により避難した方の中には、「わたしたちの命は軽くみられていたのか。事故が起きたとき被害が最小限で済むという、その最小限にいたのが自分であると気づいたとき、ショックともいえない、なんとも表現できない気持ちになった感覚がまだ残っている」という声もありました。

このように、この土地は戦前から国策として、代々利用されてきた歴史がありました。たらちねがあるいわき市には、双葉郡からの避難者が約2万人と言われています。そのうちの6割の方が住民票をいわき市に移し、残りの4割の方は以前の住所のままです。同じ福島県、同じ浜通り地方に生きる人同士でも、長い歴史の背景の違いから生活に根ざした文化も少しずつ違います。原発事故があり、同じ行政区で一緒に生活することになり、軋轢も生まれました。震災後の移住先のいわき市で出産した人の中には、自分たちが双葉郡から避難し、いわき市に移住していることを子どもに話していないという方もいます。祖先の話ができない、数世代にわたり苦労し、生き抜いてきたアイデンティティーを足元から断ち切られるような辛さの中で、新しい生活を始めている姿があります。

人間は、机上の上で動かすことができる単なる数ではありません。一人ひとりに生活があり歴史があります。被災地の歴史は、私たちにその重みを教えてくれました。

聞き取りにご協力いただいた双葉郡のみなさま、貴重なお話をありがとうございました。

未来の福島こども基金のホームページに写真も掲載しています。ぜひご覧ください。

昭和の双葉郡の歴史
昭和の双葉郡の歴史

子ども応援金

子ども応援金プロジェクトを始めて3年 子どもたちが巣立ちます

卒業おめでとう!!
N0さん

この春無事に第一志望の大学に行くことが決まりました。福島にいたころは3歳で親が混乱していたことだけは覚えていますが、15年経っていま振り返ってみるとたくさんの方との出会いがありこの先の未来を見つけることができました。そのなかでも経済的に大変だった環境でもご支援いただき進学への一歩を踏み出せました。これからは、社会や誰かの役に立てるような大人になります。
本当にありがとうございました!

RNさん

私は農業系の高校に進学し、3年間で得たものは農業の大切さと、人との繋がりです。
造園分野では人との協力と発想力、技術力を身につけました。馬糞堆肥化プロジェクトを立ち上げ、第1期生として意欲的に取り組み、研究や発表等といった事をし、とてもやりがいがあり吸収できる部分がありました。
やりたいこと学びたいことを見つけたので、卒業後は大学へ進学します。球美の里の保養にも参加させていただきました。自分ができることで喜んでもらえる職業を目指します。ありがとうございました。

YAさん

このたび息子が高校を卒業しました。4月からは大学生になります。いただいた支援金は今回の進学に活用させていただきます。息子は将来公務員になるという夢を持って静岡へ行くことになりました。震災後から支えていただいた方々のおかげでここまで育ってくれました。大人になった時に、今まで自分がしてもらったように困っている人へ手を差し伸べることができる人になってほしいと思っています。今までご支援ありがとうございました。(母)

YIさん

ご支援いただきありがとうございました。3月1日に無事卒業いたしました。3年間、部活や勉強に励むことができました。
4月からは社会人となります。高校で学んだことを糧に地域貢献できるように新しい環境でもがんばりたいと思います。

進学おめでとう!! MUさん

私の高校は、2年生になると6つのコース(進学・保育・デザイン・食物調理・ビジネス・情報スポーツ)の中から選んで、学びを深めていける所に魅力を感じました。高校1年生の間に、いろいろな事に挑戦しながら、やりたい事を定めて将来好きな事を仕事にしていけるようにしていきたいです。

RNさん

ご支援ありがとうございます。
支えてくださる方がいるからこそ私は自分の将来や夢について考えることができています。進学やこれからの道を応援してくださり、本当に感謝しています。私は美容の道に進みたいと思っています。これからはその感謝の気持ちを忘れず努力を重ねて自分の目標に向かって頑張っていきたいです。そして将来は美容を通して人に自信を与えられるような人になり、笑顔を作るお仕事をできたらいいなと思います。支えてくださった方に、成長した姿を見せられるようになりたいです。これからもがんばります。

YBさん

私は現在高校一年生で日々充実した学校生活を送っています。 クラスメイトは落ち着いて物事を考えられる人、明るくフレンドリーな人、私が落としたものを拾ってくれる優しい人などと個性的で素敵な人たちばかりです。担任の先生もサポートが手厚く困った時いつも頼りにしています。そんな素敵な人たちがたくさんいるクラスが毎日通いたいと思える大好きなクラスです。最初はこんなレベルの高いクラスでやっていけるか不安でしたが、今ではクラスの誰にでも気軽に話しかけられるほど打ち解けることができました。
授業以外では委員会活動や部活動に取り組んでいます。私は体育委員会に所属しており、体育祭の準備や学園のレクリエーションの準備を先輩方と共に行いました。他のクラスの人とも協力でき、有意義な時間を過ごしました。部活動はインターアクト部というものに所属しています。主な活動として、学園周りのゴミ拾いや、こども園で読み聞かせやドッチボール、他校との交流会を行っています。部活をしていると地域の人、こども園のみなさん、その園児の親御さん達からよく「ありがとう」と、感謝を伝えられます。とてもやりがいのある部活なので来年も続けたいと考 えています。

HOさん

現在は工業高等専門学校のメディア情報工学科の3年になり専門的な授業も増えてきて楽しく勉強しています。最近はC言語やPythonを使ったプログラミングや、デジタル回路の実験など、より実践的な課題に取り組む機会が増えてきました。また、AIのモラル問題の小論文などを国語の授業で書くなど、情報技術が社会や人間の心にどうかかわっていくのかを考えそれを文章にまとめるスキルなどが身についてきました。
また、勉強以外の面では、琉球文化同好会という沖縄の楽器の三線を弾きたい人が集まってできた同好会の部長になり、日々練習に熱中しています。今は、沖縄の曲だけではなく千本桜などの現代の曲を三線で演奏できるように練習しています。友達と一緒に演奏するのも一人で演奏するときとは違っていて、みんなの息が合ってうまくいくときは気持ちよく曲が形になっていくのがとても楽しいです。
長期休みには、小さいころお世話になった保養のボランティアに参加させてもらっていて、久しぶりにお世話になった方たちに会うことができたり、子どもたちと楽しく遊んだり、有意義な長期休みを過ごしています。
将来はIT関係の仕事がしたいと思っているので、今の恵まれた環境の中で、ネットワークや、コンピュータアーキテクチャ、プログラミングなどの基礎知識をしっかりと固めていきたいです。

※この3月でこども応援金が終了した人は12人です。

KAKE COMI
の新たな活動拠点「午後の青猫」誕生!

「本当に怖かった。あれは経験しないとわからないよ。本当に本当に怖かった」

ある日のこども食堂で、突然そんな声が聞こえてきた。声の主は20歳の女性。中学生の時から私たちのこども食堂「まかないこども食堂たべまな」に通っており、今はスタッフとして活動に従事している。彼女の向かいには、小学校低学年の子どもたちがいる。「怖かった」とは東日本大震災のことで、幼い子どもたちが学校での避難訓練について話題にする中での一言だった。「本当に怖かった。怖くて身体が動かなかった」といつになく真剣な眼差して子どもたちに言い聞かせる彼女は、地震発生時の様子、自分や周囲の大人がとった行動、親の言葉や態度、その後の原発事故のニュース、自主避難生活について、ポツポツと語り始めた。その時見たもの、聞こえた音、温度や匂いまで、鮮やかなナラティブだった。震災時まだ生まれていなかった子どもたちは、少し呆気にとられたように、でもゲーム機から目と手を離して、彼女の話に耳を傾けていた。

「本当に怖かった」その率直なひと言に、目が開く思いだった。そうだ、彼女は本当に怖い怖い経験をしたのだ。15年近く経っても、音や匂いまで鮮明に蘇るほどに。その怖さは、彼女の一部として、今も生きている。そして彼女にとって、このこども食堂は「安心して怖いと言える場所」になっているらしい。

子どもの自死件数増加に歯止めがかかない。2025年の件数は、統計開始以来最多となった。原因には健康問題・不安(精神疾患)、学校問題、家庭内の問題等が挙げられるが、多くは「不明」である。不明とは原因がないわけではなく、大人には聞こえていない、つまり大人には話せていない苦しさが子どもたちの生活の中にあるということだ。不安は、恐怖は、苦しさは、安心できる場所で、少なくとも「敵ではない」と思える相手にしか伝えられない。学校や家庭に緊張のある子どもが、死にたくなるほどつらい理由を、教師や親に話せるはずもないのだ。

福島の隅っこでKAKECOMIという小さな団体が産声をあげ、こども食堂とシェルター事業が静かに始まり10年が過ぎた。小さな団体にできることは限られている。かといって、団体の維持継続が目的にすり替わることを警戒し、大きな組織となることにも踏みとどまっている。どこに向かうべきか、どこまでできるか迷う日々の中で、「安心して怖いと言える場所」であり続けたいと、彼女の言葉が守るべき軸を示してくれた。

現在、私たちKAKECOMIは白河市の中心市街地に新たな活動拠点「午後の青猫」を整備中だ。小さな団体にとっての大きなチャレンジを、未来の福島こども基金さまからのご支援が力強く支えてくれた。安心して怖いと言える場所、安心して不安を出せる場所を守ってくださるお力添えに、心からの感謝を申し上げたい。

KAKECOMI代表 鴻巣麻里香
https://www.kakecomi.org/

外壁追加により構造補強
*外観イメージ

保養はいま

未来の福島こども基金は、沖縄・球美の里(くみのさと)を2012年から支援しています。コロナ禍を経て、多人数による子どもたちだけの移動は困難になり、球美の里は今、ファミリー保養になり保養期間も子どもたちだけの時より短くして、保養活動を継続しています。

全国には多くの保養団体がありますが、資金もボランティアも厳しい中、それぞれの団体は工夫しながら年に1回程度の保養を続けています。私たちが支援できるのは限られていますが、引き続き保養団体を応援していきたいと思います。

◆保養団体の取り組みについては保養情報サイト「ほよ~ん」*をご覧ください。
https://hoyoon.jimdofree.com/

保養一覧 https://bit.ly/3FhX6Et

*311受入全国連絡会(うけいれ全国)が運営しています
https://www.311ukeire.net/

2025/12/14 『マイプレイスー保養という選択ー』新宿K’sシネマで短編映画上映“せとうち交流プロジェクト”

http://setouchi-kouryu-project.com
東京ドキュメンタリー映画祭2025で準グランプリ&観客賞を受賞!(監督:渡辺嶺也)
予告編はこちらからご視聴ください。

「全国にこのような保養活動があることを知ってもらうためにも、原発事故のその後を知ってもらうためにも、社会へ向けて『忘れないで!』と訴えかける胸温まるドキュメンタリーになりました。各地で上映会に取り組んでほしい」代表の蝦名さんは呼びかけています。

2026/3/7 シンポジウム東日本大震災から15年「私にとって保養とは」
“福島の子どもを守る会・北海道”

北海道に、沖縄に、福島県内にそれぞれ避難した家族が、事故から15年目の今を語りました。避難と保養が必要だったと「避難の権利」を求める原発避難者の会の中手さん。事故後、北海道に避難しています。その後登壇した高校生2人は3歳の時に被災したが、事故直後に始まった北海道の保養に参加。当時のことはほとんど覚えていないとのことでしたが、何回か保養を重ね、たくさんの友達ができました。シンポジウムの間に三線による弾き語りを披露したはくまさんは、小学生のとき沖縄・久米島に母親と移住し“なんくるさんしん”というグループと出会い、三線を教わりました。今は沖縄などの保養にボランティアとしても参加。当基金のYouTubeチャンネルで弾き語りをご欄ください。

沖縄・球美の里の声

沖縄・球美の里

球美の里は2025年10月~12月計4回のファミリー保養を行いました。
ファミリー保養は2~3家族、約十名が5日間球美の里に滞在します。プログラムは泥染め・シーサー作り・さんしんライブなどで、保養を通じて心身をリフレッシュしています。

今日は最近の参加者の声を届けます。
子どもたちからは、
・イーフビーチ!
・虫ややどかりをつかまえるのがたのしかった。
・うみにいったこと。
・ヘンプアクセサリーが楽しかった!
等の声が寄せられました。

保護者からは楽しかったこととして、「シュノーケリングなどのマリンアクティビティをやって、魚と触れ合えた。」「こんなに穏やかな時間を過ごせたのは初めて。」、また、保養の効果として、「(これまで)6年間写真撮影に心理的抵抗があってできなかったのが、今回一緒にとることができた。食事時マスクを外すことができなかったのが、外して食事をすることができた。」「苦手な食材が多かったのが、毎食モリモリ食べることができた。睡眠障害もあったのが、後半は8時間しっかり寝ることができた。」
といった、感想が寄せられました。

保養のニーズの変化について震災直前直後に生まれたお子さんの保護者から、「震災の直前直後に生まれたわが子たちは、(震災の影響なのか)社会生活を送りにくい状況にある。保養での目覚ましい変化を目の当たりにして、保養事業の継続の大切さを感じる。
この子らは義務教育を終える年を迎え、学校よりさらに厳しい世界に出ていくので、保養で心身を休めたいものの、小さな子たちと参加する心苦しさも感じ、まだまだ多くのお子さんたちが保養を必要としている中では、自分たちで乗り越えていく時期が来ているのかなと感じる。」と新しいフェーズに入りつつある子どもたちについて声がありました。

コロナ禍から始まったファミリー保養も12月で64回を数えました。

保養風景の写真はぜひ、「沖縄・球美の里」のSNS
ブログ http://kuminosato.blog.fc2.com/
インスタグラム @kumino_sato をご覧ください。

沖縄・球美の里

NPO法人 みんなのデータサイト

横浜・花博に除去土壌?

中間貯蔵施設に集められた1400万立米を超える除去土壌は、30年後までに県外に搬出することを政府が約束しています。ここを管理する国策会社JESCOを規定しているJESCO法の第3条2項に「中間貯蔵開始後三十年以内に、福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるものとする」と書かれているのです。その期限は2045年です。

政府・環境省は、除去土壌のうち4分の3は8000Bq/kg以下だから「復興再生土」と呼んで、道路や耕地の下に埋め込んでしまおうとしています。しかし、8000Bq/kgのセシウム-137(半減期30年)が国の定めたクリアランス基準(放射能で汚染した金属などを再利用して良いとしたレベル)である100Bq/kg以下になるには190年を要するのです。埋め込んだ当初は汚染していない土壌などを厚くかぶせれば空間線量率が上がることはないかもしれませんが、地震や大雨で崩れたり流失したりすれば放射能は広範囲に広がります。多くの人々が、埋め込まれた汚染土壌のことを忘れてしまった遠い未来では、誰もその汚染に気が付くことはないままに汚染が広がってしまうことになるでしょう。そもそも2兆6千億円もの巨費をかけて収集した汚染土壌を再び掘り起こしてダンプに積んで県外各地に運び出そうという計画自体に無理があります。除去土壌は、汚染者負担原則(Polluter Pays Principle)に則り、東京電力の責任で、東京電力の土地で管理するべきなのです。

つくば市の国立環境研究所、新宿御苑(環境省管轄)および所沢の環境研修所で計画された実証事業は、いずれも地元住民が反対運動に立ち上がって阻止されました。昨年末、神奈川県選出の草間剛議員(自民)が衆議院国土交通委員会で2027年3月開催予定の横浜・花博で「除染土壌の利活用」を政府に質問したという記事が福島民報(2025年12月31日)に掲載されました。

この記事に驚いて花博予定地である横浜市瀬谷区に行ってみました。米軍の通信基地だった土地が返還されて、観客動員目標1500万人、1990年に大阪で開催された「花の万博」に匹敵する規模の花博が計画されたのでした。しかし、除去土壌については地元横浜市民には寝耳に水、横浜市役所の職員ですら知らないという状況でした。現場を歩いてみると、すでに大規模な造成工事や建物の建設が進んでおり、ここに除去土壌を埋め込むにはタイミングが遅すぎるという印象でした。

予定地周辺には4か所の市民の森があって、各々で市民グループが自然観察などの活動を行っています。福島民報の記事に驚いた市民らが集まって、この問題についての緊急の勉強会などが始まっています。その行方を注視しつつ、市民放射能測定所としてのお手伝いを考えていきたいと思います。
(大沼淳一:みんなのデータサイト理事)
みんなのデータサイト

新型コロナウイルスパンデミックは作られた虚構だった

小児科医 黒部 信一
黒部信一ブログ
未来の福島こども基金 代表
チェルノブイリ子ども基金 顧問

 新型コロナウイルスのパンデミックは、2009年の新型インフルエンザウイルスのそれと比べると感染率はかなり高いですが、死亡率は低く止まっています。にもかかわらず世界的に騒がれました。初めに感染が広がった中国・武漢市からの報告では、感染率は高いものの重症化率と死亡率は低く、一部に肺炎が起きて呼吸状態が悪くなってはいても、それは酸素吸入か人工呼吸で2週間しのげば良い、というものでした。しかし、なぜか新型コロナウイルスは「わけの分からないウイルスだ」とか「殺人ウイルスだ」と大げさに騒がれました。

誰があおったのか

WHO(世界保健機構)もEU(欧州連合)委員会もコロナウイルスのパンデミックとあおり、アメリカのCDC(疾病対策センター)もFDA(食品医薬品管理局)も恐怖をあおりました。

特に目立ったのは理論疫学者の二人。一人はイギリスのニール・ファガーソン教授です。英政府の科学的助言グループ(SAGE)のメンバーだった彼は、都市封鎖(ロックダウン)の必要性を否定し集団免疫を目指すSAGEに異を唱えて、「政府の方針では25万人が死亡する」とマスコミに流しました。するとたちまち世論は沸騰。英政府は数日のうちに都市封鎖に踏み切りました。しかしその4か月後、再び規制解除へと政策を転換しています。

もう一人は日本の西浦博北海道大学教授(後に京都大学教授)。対人接触を8割削減することが必要だと説いたことから「8割おじさん」と呼ばれた人です。「対策を打たなければ死者は42万人になる」と脅威をあおり、山中伸弥京都大学教授も「対策をしなければ、今からでも10万人以上の死者が出る可能性がある」とそれに続きました。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも「数十年で1000万人以上が死ぬことがあれば……」と発言し、週刊誌にはGAFA(米国の大手IT企業グーグル、アップル、フェイスブック〈メタ〉、アマゾン)の焼けぶとりと評されていました。

その結果は

スウェーデン政府は世界で唯一ロックダウンをしませんでした。マスクも手洗いも、手が触れる場所の消毒も推奨程度。入店制限はあったもののパーテーション不要。小中学校は平常通り。高齢者は自宅待機となりましたが、一般の旅行制限はなし。

その結果、超過死亡率などは他の北欧3国と変わりませんでした。その功績が讃えられ、政府公衆衛生責任者アンデシュ・テグネル氏は、2023年4月にWHOへ招かれています。

急いで造られ、接種されたワクチンの効果は全くありませんでした。日本ではワクチンのまだなかった20年、年間の感染者数や死亡率は低く死者数は3466人。これは「日本の奇跡」と言われました。21年の1月に医療が崩壊し、死者数は1万6766人(21年)に増加。2月にワクチン接種が始まると、接種後の死亡者も増加しました。20年には呼吸不全で死亡する人が多くいましたが、その後減少し、22年になると人工呼吸器やエクモが使われることはほとんどなくなりました。コロナによる死者数は4万7638人(22年)でしたが、その死因の多くは合併症によるものであったにもかかわらず、PCR検査で陽性との反応だと出ると、それらはコロナ死としてカウントされていました。

その経緯は

☆ 2020年1月11日、中国の科学者によってウイルスのゲノム配列がネット上で公表されるとすぐに世界はワクチンの製造競争に突入します。

☆ 20年2月11日、WHOはワクチン製造のロードマップを作成。超高速で製造方法を発見し、後遺症やワクチンの有効性を研究するというもので、副作用の調査は省略されました。

☆ 米FDAとEMA(欧州医薬品管理局)が、新薬の審査を優先的に行なう制度「オペレーションワープスピード」を制定します。新薬に必要な検査は軽減され、1000項目に及ぶ質問も免除。承認までの期間は大幅に短縮されました。

☆ 21年時点、mRNA(ウイルスのタンパク質を作る遺伝情報)の研究は、新型コロナワクチンの研究を含んで70件ありました。

一般的にワクチンが製品化されるまでには10年以上を要します。第1段階:製品の毒性評価(数十人を対象とし1~2年)。第2段階:製品の有効性評価(100〜400人を対象とし、3~4年)。ここで副作用の可能性を調査。第3段階:ワクチンの利益とリスクの相対的評価(数千人を対象とし3〜5年)。

しかし、米製薬大手ファイザー社とモデルナ社はいとも容易にその第1・第2段階を飛び超えて第3段階へ移行。しかも第3段階を終える前には接種を開始しています。

最終的に第3段階に必要なデータの収集を終えた日は、モデルナ社が22年12月29日、ファイザー社は23年2月15日です。

☆ 22年6月、EMAはコロナワクチンに対して、「ローリング・レビュー」(逐次審査方法)と呼ばれる製造・販売の承認申請制度を実施します。これにより通常1年はかかる評価の時間は短縮され、第3段階終了前であっても申請するだけで認可を得ることが可能となりました。

☆ 21年2月、日本でワクチン接種開始。まず医療従事者を対象に先行接種、4月1日からは65歳以上を対象に行なわれました。

☆ 『コロナワクチンの不都合な真実』によると(以下抜粋)、「(ワクチン)接種後、私たちの免疫システムは、体内でこれらの異物(すなわちウイルスなど)を認め、すぐにそれらに対する抗体をつくっていた。そうして病気に対する免疫力をつけていたのだ。

ところが2021年9月、アメリカ疾病対策センター(CDC)が『ワクチン』という言葉の定義を変えた。もう免疫については触れず、もっぱら予防――それも範囲が定められていない。これが従来のワクチンとの一番目の基本的な違いである。

mRNAワクチンの場合、mRNAを脂質の膜に包んだものを注射する――すべて人工的に合成されたものだ。

こうして、これまでのワクチンとは逆に、mRNAワクチンを接種しても私たちの免疫システムはその場ですぐにはウイルスを感知しない。したがって、すぐには抗体をつくる反応をしない。これがよくいわれた『接種後の2週間、その間あなたは守られていない』という理由だ。

『あなたの身体が守られるには、時間が必要だ』と、CDCは明記している。『人々が完全にワクチンを接種したとみなされるのは、1回目の接種の2週間後』。したがってこの期間が、従来のワクチンとの二番目の基本的な違いである」(参照:『コロナワクチンの不都合な真実』〈アレクサンドラ・アンリオン・コード著、鳥取絹子訳、詩想社新書〉)。

☆ 新型コロナワクチンの消費期限、保管や運搬の条件はFDA、CDC、WHOでそれぞれ異なります。またそれらは何度も変更されました。

やがてファイザー社とモデルナ社のワクチンが適切な条件で運搬・保管されていたにもかかわらず、品質の劣化が進んでいることが判明。イギリスの医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」(BMJ)では、「ファイザー社とビオンテック社のワクチンの55%が劣化していた」(21年7月27日)と、RNAの完全性が想像以上に損なわれていると警告しています。

誰が利益を得たのか、儲けたのか

2020年12月期決算では、ファイザー社の売上高は419億ドル(=米ドル)で世界第8位。ビオンテック社とモデルナ社は11位以下だったのです。それが翌年には、ワクチン生産上位3社(ファイザー、ビオンテック、モデルナ)合計の21年年間利益(売上高から経費を除いたもの)は、課税前で推定340億ドル、それによって9人の新興大富豪が誕生したといいます。

ファイザー社は22年2月のプレスリリースで、22年度は新型コロナワクチンとその関連で、540億ドルの利益をあげるとの予測を発表。上位3社は、新型コロナウイルスとの闘いとして、各々80億ドルの公的資金を受け取っています。

ファイザー社のワクチンの価格は当初、1用量あたり15・50ユーロ(約2870円)でしたが、21年8月には19・50ユーロ(約3510円)、22年10月には130ドル(約2万円)へと値上がりしました(英経済紙「ファイナンシャル・タイムズ」、21年8月1日)。しかし各国がいくらで買っているかの実態は明らかにされておらず、正確な価格や日本の購入価格は不明です。

R・ケネディ・Jr 長官が行なったこととは

ロバート・ケネディ・ジュニア米保健福祉省長官は元々、環境問題に取り組み、食品添加物の廃止を訴え、新型コロナワクチンの子どもへの接種に反対してきた弁護士です。

アメリカの医療界では産官学の癒着が進み、特に民主党が製薬業界に取り込まれています。ケネディ長官は科学研究の透明化、ワクチン研究の生データや査読コメントの公開を要求していますが、前政権下で承認されたファイザー社のコロナワクチン45万ページに及ぶ臨床試験のデータが公開されるのは75年後です。

アメリカ医学の腐敗と科学論文の信頼性の低下

ケネディ長官は、委員の97%に金銭的利益相反があるとして、政府の予防接種諮問委員会の委員17人全員を解任し、新たに7人を任命しました。またワクチンを異例の速さで認可する「オペレーションワープスピード」制度を推進したFDA(食品医薬品管理局)のワクチンプログラム長を辞職させ、コロナワクチンを推進したCDC(疾病対策センター)長官を解任しました。

またケネディ長官は、アメリカの「ニューイングランドメディカルジャーナル」「アメリカ医師会雑誌」とイギリスの「ランセット」の3つの世界的権威をもつ医学誌を「腐敗している」と厳しく批判してもいます。

ちなみにそれ以前の15年には、ランセット編集者のリチャード・ホートン博士は同誌にこのように書いています。「(本誌も含めて)科学論文の多く、おそらく半分はuntrue(不誠実であるまたは本当ではない)かもしれない」(「ランセット」15年4月11日)。

アメリカには無過失補償制度をともなったワクチン健康被害補償プログラムがあります。これによりCDCで定期接種に定められたワクチンによって健康被害が起きたと認定された場合に補償されますが、ワクチンを製造した企業、推奨した専門家、接種した医師はいずれも責任を問われません。

また既に医学的因果関係が立証されている副反応に対しては、基金から補償が行なわれますが、新しいワクチンの場合は、まだ因果関係が立証されていないので、健康被害が起きた場合には補償を受けることはできません(日本も同じ)。(注:無過失補償制度があると加害者は損害賠償の訴訟から免れられるのです。しかも補償されない時に、政府への国家賠償請求をともなう製薬企業への損害賠償請求になるので、無過失だという主張を、過失を証明して覆すことが難しいのです。被害者を切り捨てるための制度です。HPVワクチン〈子宮頸がんワクチン〉の被害賠償の訴訟がそれです。)

ケネディ長官は、この健康被害補償プログラムの改革を行なうとして、アメリカ国内のHPVワクチンの訴訟の70%を担うアンドリュー・ダウニング弁護士にアドバイザーを依頼しました。

2025年5月、ケネディ長官は新型コロナウイルスワクチンの子どもと妊婦に対する接種推奨を中止しました。続いて9月にはCDCが、すべての人に対して新型コロナウイルスワクチン接種推奨をやめることを決定。またCDCは12月、すべての新生児に行なっていたB型肝炎ワクチン接種の対象をB型肝炎に感染している母親から生まれた新生児に限定しました。

一方で米保健福祉省は、同年8月、22のmRNAワクチン開発プロジェクトに対する資金提供を撤回すると発表しました。いずれもファイザー社やモデルナ社が主導する総額5億ドル(約740億円)に上るプロジェクトで、ケネディ長官は「これらのワクチンが新型コロナやインフルエンザを効果的に予防できないことを示すデータを基に、投資を停止する」とコメントしています。

26年1月、CDCはすべての子どもを対象にしていたインフルエンザウイルスワクチン、A型肝炎、B型肝炎、ロタウイルス、髄膜炎菌、RSウイルスの6種類のワクチン接種の推奨を撤回。

これによりビッグファーマ(巨大製薬企業)は大幅な減収となります。江戸川大学の隈本邦彦教授によると、ビッグファーマの代弁者たちは、「3年辛抱すればよい」とうそぶいているといいます。

結論は

コロナワクチンは、ビッグファーマが儲けるためにフレームアップされたのだと思います。バイデン前政権と民主党は、それに加担していました。持続可能な開発目標(SDGs)はどこへ行ったのでしょうか。

チェルノブイリと福島
何が問われているのか

チェルノブイリ原発事故40年福島原発事故15年

チェルノブイリ原発4号機を覆う石棺 右は3号機 2017 年撮影T.K.
チェルノブイリ原発4号機を覆う石棺 右は3号機 2017 年撮影T.K.

1986 年のチェルノブイリ原発事故による放射能は、今も人々の健康と環境をむしばみ続ける。その 25 年後に福島で同規模の事故を起こしてしまった私たちは、今、チェルノブイリから何を学ぶべきだろうか?

講演・パネルディスカッション

小出裕章 元京都大学原子炉実験所助教
チェルノブイリ事故と福島が私たちに問うもの

菅谷昭 甲状腺外科医、元松本市長
ベラルーシでの甲状腺がん治療の経験から福島の今を考える

柳原敏夫 市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会代表
311 子ども甲状腺がん裁判で問われていること

佐々木真理 チェルノブイリ子ども基金事務局長
現在も続く救援活動について

日時:2026年5月23日(土)開場13:00開演13:30~16:30
会場:明治学院大学白金校舎

資料代 :800円・申込み不要

主催 : チェルノブイリ子ども基金 共催 : 明治学院大学国際平和研究所
協賛:未来の福島こども基金、市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会
問い合わせ:チェルノブイリ子ども基金 cherno1986@jcom.zaq.ne.jp
詳細はチェルノブイリ子ども基金のHPなどチェックしてください。

福田博子「遊筆展」

2025年10月25、26日/@和光市サンアゼリア
遊筆とは自ら和紙材料を盛ってキャンバスを創り、書と絵画を融合させ、言霊による独特の宇宙観を展開するものです。福田さんの作品を多数所有していた方が、今回福田さんの作品を希望者に無償で譲りそのかわりにお気持ちを「未来の福島こども基金」に寄付をしていただく、という趣旨で遊筆展を開催しました。作品は多岐に渡り、掛け軸や着物までありました。主な絵画も大小様々で1m以上のものから小さなものまで全部額に収まっているのです。初日は雨にもかかわらず多数の方々が見えられて、次々と希望の遊筆が運ばれて行きました。そして皆さん、口々に「ほんとに気持ちだけです」と言って募金箱に寄付してくださいました。
私は2日間、お当番として会場で“遊筆”に囲まれていましたら、何とも言えない幸せな気持ちになりました。作品たちの放つエネルギーに知らないうちに癒されていたのです。そしてこれらの作品は今頃新しい持ち主のもとで必ずやそのかたのハッピーアイテムになっていることと思います。主催者のハッピーエンディングをめざす会とお気持ちをご寄付された方々に心から感謝申し上げます。

“遊筆展”和紙に絵と書の無限大 自由であるがこの世の全て けい子
https://fukushimachildrensfund.org/event-20251025/

福島訪問記 ウイズアス・プロジェクト

昨年10月28日、<ウイズアス・プロジェクト>*の有志5名で、たらちねと大熊町、富岡町の見学にうかがわせていただきました。私は3年ぶりの訪問でした。
たらちねのスタッフの方のご案内で、まず、たらちねのアトリエ(心のケアの場所)とオフィス、ラボ(写真)、クリニックを見せていただきました。「測定とケア」の活動が、地道に、そして、より一層の高みを目指して進められていると感じました。
そのあと、被ばく線量の多かった大熊町と富岡町に連れて行っていただきました。
大熊町の新しい役場付近は3年前の訪問時より家屋が増えていて、造成中だった場所に、立派な幼少中一貫学校「義務教育学校 大熊町立 学び舎 ゆめの森」が建っていました。学校の敷地から少し離れた場所の放射線量はまだ高くて、複雑な思いになりました。
2021年開館の富岡町の町営とみおかアーカイブ・ミュージアムでは、丁寧かつ客観的な展示から、地震発生当日のこと、それからの日々のことを遺さなくてはならないという切実な思いが伝わってきました。
私たちがこうして福島を時折り訪ねることにどんな意味があるのか、案内してくれるたらちねのスタッフの方々に感謝しつつ、今も考えています。

*<ウイズアス・プロジェクト>は、東日本大震災の被災地の福島の子どもたち(たらちねと球美の里)と南三陸町のワカメ養殖漁師さんたちの支援活動をしている有志のグループです。
*富岡町の歴史・文化を伝える資料・情報の記録・保存と継承も担っています。

お知らせ

〇東日本大震災・東電福島第一原発事故から15年を迎えましたが、次第に忘れ去られようとしています。しかし、福島の人たちの日常は被災した時から続いています。忘れないようにさまざまなイベントを企画したり、参加された方もいらっしゃると思います。当基金としては特別な取り組みをしませんでしたがこの号で少し紹介しました。また、この間、継続してのご寄付(クレヨンハウス様、教覚寺様、フクシマを思う実行委員会様、ウォーターマーク・クラフツ様)、クリスマス献金(川和保育園様、桃山幼稚園様)、3・11に寄せたご寄付
(川和保育園父母の会様&父母の会ボランティア委員会様、遍照院様、カトリック仁川教会様、網走友の会様、法然院様、沈黙の春ライブ様)、などなどから送金いただきました。すべての団体名、個人名は書ききれませんが、感謝にたえません。次号では、お送りいただいた1年間の団体名を記載させていただきます。

◯多くの被災した人たちが原告となって裁判を起こしています。中には福島県が原告となって被災した人を訴える裁判も!?わけがわかりません。裁判所は公明正大な判断を示してください。以下は今実行中と近々のアクションです。
東京電力株主代表訴訟
〜#高裁判決を破棄することを求める署名活動
〜#最高裁前行動&講演会4/16(木)詳しくはブログを。
ネット署名とブログのQRコード

〇『原発を止めた裁判長』の上映会&トークの会(さよなら原発in所沢連絡会他3団体の共催)があり、福島から埼玉県に避難されている鵜沼さんのトーク、原発事故被害者団体連絡会共同代表の類子さんからのビデオメッセージなどがあり、当基金も参加、一言述べさせていただきました。終了後カンパを募ってくださり、当基金に託されました。ありがとうございました。

◯チェルノブイリ原発事故から40年です。今年は明治学院大学とチェルノブイリ子ども基金共催で5月23日、講演会が開かれます。関東の方ご参加ください!
https://cherno1986.hateblo.jp/entry/2026/03/02/164455

◯長年、沖縄・球美の里を支援してくださったドイツ「ドルトムント独日協会」代表シュルターマン容子さんより、支援終了のお知らせがありました。ドイツのバザーで日本の浴衣を販売して、その売り上げを球美の里に寄付してくださったこともあります。当基金でも浴衣の寄贈を呼びかけ、何箱もドイツに送り出したことを思いだします。大きな支援を何度もお寄せいただき感謝します。
https://hilfefuerjapan2011.wordpress.com/

〇みなさまにお届けしているこのニュースレターは、活動報告・寄付金の使途報告を基本としています。webにも掲載します。写真もカラーでご覧いただけます。webで見るので送付不要という方は事務局までお知らせください。また、一律に振込用紙を同封していますが強制するものではありません。すでに会費、カンパを振り込まれた方はご容赦ください。

引き続きみなさまからの応援、ご協力をよろしくお願いいたします<(_ _)>

未来の福島こども基金 規約

1、本会の名称 :「未来の福島こども基金」
2、目的: 福島原発震災に遭った被災者を支援するため、情宣・募金活動を行う
3、会費 :3000 円、学生会員 2000 円、維持会員 1 万円の年会費を納入する*
4、役員:若干名の世話人をおく。世話人の中から代表、会計、監査を総会において選任する
5、会員はそれぞれ可能の範囲で創意工夫して自由な支援活動を行う
6、本会は印刷物、メール、ネット、等の媒体を通じて適宜活動報告を行う
7、毎年 1 回、総会を開き、事業および会計について報告する
8、事務局:埼玉県志木市
9、活動開始:2011年6月1日より(会計年度6月1日より翌年5月31日まで)

※会費には寄付金も含まれます。
※経費は募金額の1割以内をめどとする。
※当基金は任意団体です。税金控除の対象となりません。ご了解ください。

継続支援のお願い

引き続きのご支援をお願いします。すでに振り込まれた方はご容赦ください。
また、チラシをまわりの方に広めていただける場合、枚数をお知らせください。お送りします。どうぞよろしくお願いいたします。

寄付金、会費の振込先

郵便振替口座
振替口座: 00190-0-496774
口座名: 未来の福島こども基金
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店番 : 019
店名 : 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
預金種目 : 当座 0496774

三菱UFJ 銀行 神楽坂支店
支店名: 神楽坂支店(支店番号:052)
口座名: 未来の福島こども基金
口座番号:普通口座0064011

海外から送金の場合 – Remittance from Overseas
– Remittance from Overseas
BENEFICIARY’S BANK/ACCOUNTBANK:
THE BANK OF MITSUBISHI UFJ, LTD
3-7, KAGURAZAKA, SHINJYUKU-ku,
TOKYO 162-0825, JAPAN
BENEFICIARY’S BRANCH:KAGURAZAKA BRANCH
SWIFT/BIC:BOTKJPJT
ACCOUNT NAME:Fukushima Children’s Fund
c/o Mukai Tate 2-3-4 409 Shiki City Saitama.
353-0006, JAPAN
ACCOUNT NUMBER:052-0064011

未来の福島こども基金
HP:https://fukushimachildrensfund.org/
FB:facebookページ
YouTube:未来の福島こども基金YouTube
事務局:〒353–0006 埼玉県志木市館 2-3-4-409 向井方
TEL 090-3539-7611 FAX 048-470-1502
Eメール:info*fukushimachildrensfund.org
(Eメールの「*」は「@」に変えてください)

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