東北本線・大河原駅から歩いて8分。土壁の古い蔵が私たちの測定室です。
ラジオから聞こえてきた「全電源喪失」のニュースに震えが止まらなかったあの日から8ヶ月。11月23日、全国のたくさんの方々からのご支援をいただいて、私たちの新しい時代がここから始まりました。
4月19日と21日、宮城県南部の、有機・自然農,平飼い養鶏などの生産者中心に、東電、宮城県、農水省に対して、要望書を提出しました。国の基準とは関係のないところで消費者と産直という信頼関係でつながってきた者たちにとって、一方的な安全宣言は受け入れられるわけがなく、「それぞれの田畑の土壌、作物の正確な値を調べてほしい。継続的に測定し続ける制度を作ってほしい」と訴えました。けれどその頃、県は津波の甚大な被害で手一杯のようで、「宮城県には放射能の被害はほとんどなかった」と、相手にしていただけませんでした。
その後、何人かの仲間たちと横浜の民間の検査機関に土壌検査を、フランスの環境保護団体のアクロなどに土壌、作物の検査をお願いしました。そうしてわかったことは、原発からの距離だけでなく、風向き、地形、土質などで汚染値は2倍も3倍も違うことがある、ということでした。
測ってみなければわからない・・。もっとこまめに測りたい・・・。まずは自分たち、生産者の立場から始まった動きでした。
偶然、インターネットで見つけた映像。チェルノブイリから25年後のドイツ、ミュンヘンの、町の小さな測定室で、猟師さんが持ち込んだいのしし肉を、「残念だね。こっちは基準値をオーバーしているから販売できないよ」と日常生活の中で当たり前のように測定している様子が映っていました。
これなら、できるかもしれない!希望の灯りをみつけたようでした。
牧草の基準値超えが大きく報道され、宮城県の稲わらによる日本各地の牛の被曝も明らかになって、非農家の方々もまた、測ることを選択され始めました。6月から何回も何回も運営委員会を重ね、専従測定者が決まって、生産者のためだけではない、「みんなの」放射線測定室へ、と動きはじめることができたのは7月の終わりでした。
目に見えない、さわれない、においもない・・・機械で測った数値でしか存在を確認できない「放射能」に、怯えるだけの日々は、もう、おしまい!
「何が大丈夫で、何をあきらめなければならなくなったのか」身の回りのものをひとつひとつ測って、知って、考えて、悩んで、自分で決めたい!
「売る、売らない」「食べる、食べない」「買う、買わない」「ここで暮らす、移住する」を、生産者も消費者も、「測定値となった放射能」と向き合うなかで、自分で決めたい!
それを判断する材料が、「このくらいは大丈夫」というところからしか得られないのでは、決めようがありませんでした。
「てとてと」は、市民と農民による「小さな町の測定室」です。
大きな組織からも、行政からも完全に独立して運営することで、誠実に、正直に測定し、依頼者の方にお伝えします。日常生活の中で心配しているものを、だれでも測れる、あたりまえに測れる、幸せに生きていくために測れる、元気に生きていくために測って考える。お役に立てて、ぬくもりのある、そんな拠点になれたら、と願っています。
「てとてと」は、「手と手と」のこと。・・・・・こんなことがなければ出会うことのなかった人たちが、その「手と手」と「心と心」でつながってゆく。新しい時代をここで生きてみようか・・・。
オープンのお知らせにそう書きました。「ここ」は宮城県南部のことではありません。「すべての命がかかわりあって成り立っている生命界」であり、「放射能といっしょに生きていかなければならなくなった、これからの時代」のこと。
明日のことは見えないけれど、ひとつひとつ、ていねいに、暮らしていけたら・・・。生まれたての「てとてと」を、いっしょに育ててくださいね。
みんなの放射線測定室「てとてと」