いわき市は福島県第2の都市であり、漁業の街として栄えてきました。原発震災直後は、原発に近い地域が多かったことから、市民の約3分の1が避難し、一時町中は灯の消えたようだったということですが、現在は避難した人たちも戻り、一見にぎわいを取り戻しています。しかし、広いいわき市では、放射能汚染は場所によって異なり、放射線量は高い所から低い所まで非常にまちまちだといいます。測定室のある小名浜は市内でも線量が低い所だという理由で選ばれたそうです。
測定室は家主さんのご厚意で格安の家賃で借りており、ゆったりしたスペースに測定機器が置かれていました。食品測定器はベラルーシ製のAT1320Aのほかに他団体から贈られたドイツ製のLB2045があり、さらにもう1台寄贈される予定もあるそうです。
測定メンバーは、責任者のトレーナーに元放射線技師の方が1人、そのほか男性が4人、女性2人、ボランティアの女性数人。そしてまだまだボランティア候補が控えているということです。女性はいわきアクション!ママの会のお母さんたちが多く活躍しています。技術アドバイザーとして獨協医科大学准教授の木村真三先生、また、地元のお医者さんなども関わってくださるとのこと。人員の層の厚さがうかがわれました。
測定料は1検体500円と、測ってもらう市民にとっては利用しやすい価格となっており、その分、賛同金を集めることで運営費をまかなう計画ということです。
測定室は11月13日に正式にオープンしました。その開所式を含めた測定室の状況を、事務局長の鈴木薫さんが文章を寄せてくださいましたのでご紹介します。
いわき放射能市民測定室 たらちね は11月13日に開所の式を行うことができました。6月から、測定室の開所準備会議を重ね、未来の福島こども基金や、DAYS放射能測定器支援募金のご支援で、機械を導入していただき、長かったようにも感じますが、でもそうでもないような…。
測定室は、14日から通常の運営になっております。ホールボディカウンターの測定は1週間遅れの21日からの通常可動になりますが…。
測定データーをながめて、つくづく感じることは、食が大切だということです。内部被ばくの大きな原因は、食べ物にあるということを実感いたします。
私たち、普通の母親たちは、今まで放射能の危険と向き合ったことなどなく、でも、こんな事故が起きて、見えない、触れない、におわない、感じない放射能との戦いは、想像以上の疲労感を伴います。見えないものに気をつけろということを、子供に言い聞かせるのは大変なことです。そして、私たち自身も、子供を守るために、どこに向かったらいいのか途方に暮れておりました。測定室で、測ることにより向かう先をみつけることができると感じます。
測定室の毎日は、目が回る忙しさと、思いを重ねるみなさんとの作業に一体感を感じながら、怒涛のように過ぎてゆきます。
今、わたしたち たらちねの母は、この事故が原因で、早くに命を落とす子供がないように、10年後、20年後、100年後の私たちの子どもの未来をみつめて、毎日頑張っています。暮らしの中の放射能を測る機械があることを教えてくださった方々に、深く感謝しつつ、日々、思いは強くなるばかりです。
開所式には、たくさんの方々がお見えになりました。 測定室を心のよりどころとして、このいわきの土地で生きてゆこうという方もございます。 危険を見つけ出し、安全を探り出し、人々の心は一度は壊れましたが、測定をすることで紡いでゆける絆があったらいいなと思います。
ご支援のみなさま、ありがとうございました。
いわき放射能市民測定室 たらちね
事務局 鈴木薫