ニュースレターNo.4を発行しました!

ニュースレターNo.4

今号では、沖縄・球美の里の保養参加者・ボランティアスタッフの声や、いわき放射能市民測定室たらちねからの報告を特集しています。 ニュースレターはこちらからダウンロードできますので、みなさま、ぜひご覧になってみてください!

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未来の福島こども基金ニュースレター
from chernobyl No.4
チェルノブイリから学び、子どもたちを守る

 

 

沖縄・球美の里がオープンしてから半年が経ち、すでに300名を超す子どもたちが保養しました。
球美の里には子どもだけでなく、付き添いの母親やプロジェクトを支えるボランティアスタッフも訪れます。

今回、球美の里の第6期の保養に参加した母親とボランティアスタッフから感想文を寄せていただきました。
文章には球美の里のことだけでなく、震災前から今日に至るまでのできごとが綴られています。どうぞ一人ひとりの声に耳を澄ましてみてください。

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第6期 沖縄・球美の里
【 期間 】
2012年11月7日~22日
【 保養参加者 】
子ども25名(内 赤ちゃん3名)
大人8名
【 ボランティアスタッフ 】
計14名

 球美の里への参加を決めたのは、放射能を心配する気持ちと、子どもに沢山の経験体験をさせてあげたい‼ という気持ちからの参加でした。
 初めて母と子で飛行機に乗り、娘のはしゃいで喜ぶ姿に母として嬉しく思うのとリーダーとしての責任、役割が私に務まるだろうか? という不安もありましたが、何とかボランティアさんのサポートのもとリーダーの役割を全うすることが出来ました。
 ミーティングに参加する度に、ここでしか出来ない体験を‼ ここでしか出来ない保養を‼ と言ったボランティアさんの思いを、とてもありがたいと強く感じるようになりました。
 郡山での生活は、洗濯物を外に干すことをさけ、水は水道水と買ってきた水との使い分け、外遊びは一日幼稚園で30分。その他では30分~1時間程度にひかえる。こんな日々にも慣れてきていたので、球美の里での生活は、私にとって改めて、あたりまえの生活が奪われたのだと考えずにはいられませんでした。お散歩の途中で拾った松ぼっくり、いつもなら「お家に持ち帰らないよー」と言います。また芝で寝転んだりしたら、「きやーやめてー‼」と叫びます。外で転んでキズを作ったら急いで水洗い。
 球美の里では、注意しなくちゃいけないという声掛けのストレスから解放され、私ものびのびと洗濯物を外で干し、娘が外遊びから室内に戻ってこなくても心配しません。
 もっと沢山体を使って遊んできておいで、ここでしか出来ないことしておいでと、球美の里での生活も数日が過ぎ、保育園に行く機会がありました。鉄棒を見つけた娘が何気なしに逆上がりをしてみようとしたら、グルリと回って、私は自分の目を疑いました。いま福島では、逆上がりが小学生になっても出来ない子どもたちが増えていると聞いていたのでたった数日外でのびのび遊んでいただけで、ここまで体力がアップする子どもの成長に驚きました。私は、いつも芝生で遊んでくれるボランティアさん(おっちゃん)にずうずうしくも、球美の里にいるあいだ自転車も補助輪なしで乗れるようになったらいいなあーなんて言ってみたら、他の子どもたちと遊ぶ時間のある中で時間を作ってくれ少しずつ娘の自転車に付き合ってくれました。お陰様で自転車もスイスイ乗れるまでになってしまい、娘のドヤ顔で乗る姿に私は、涙が出そうなほど嬉しかったです。
 毎日毎日、外遊びに付き合ってくださったボランティアさん、どんな時も笑顔で接してくださったボランティアさん、バランスを考え、安心安全な食事を作ってくださった厨房の方々、体のケアにオイルマッサージをしてくださったボランティアさん、急な天候の変化にもスケジュールの調整に走りまわってくださったボランティアさん本当に感謝の気持ちで、いっぱいです。そしてあたりまえの生活を奪われてしまったことに慣れるのではなく、向き合い、どう行動していくかを考えることを、教えていただいたと思います。
 また球美の里での体験したこと学んだことを一人でも多くの人に発信できたらと思います。
(岡島真由美 郡山市) 

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 去年から喘息などで体調が思わしくなかったわが子を保養させることができ、ご支援いただいた皆様に感謝いたします。
 何も気にせずに、遊んだり触ったり食べたりできる環境。普通のあたりまえの生活が、これほどまでに幸せに感じるとは。
 球美の里の保養から帰ってきて1カ月以上が経ちました。線量計を片手に外出し、食材の産地を気にする毎日。だんだん慣れつつあったけど、やはり異常なことだと改めて感じました。
 私の住むいわき市は、海もあり山もあって、自然豊かなところです。春はお花見、お弁当を広げてピクニック、夏は海水浴・磯遊び・川遊び・虫取り、秋はどんぐり・栗ひろい・芋ほり、それが原発事故により全く出来なくなってしまいました。毎年庭になる苺も、たけのこ掘りも楽しみにしていたのに。公園遊びも、常に線量計を片手に時間を決めて遊んでいます。
 久米島で、時間を気にせず朝から晩まで外で遊び、芝生に寝転び、海で泳ぎ、磯や川で生き物に触れることができました。子どもたちも毎日が楽しく、私も理想とする自然と触れ合う子育てをすることができ大満足の日々でした。
 球美の里の皆様、参加された福島のお母さん方とたくさんお話ができたこと、今でも交流が続いていること、参加して本当によかったと感じています。特に広河さんとの出会いは、真実を知る上で大変貴重なものでした。テレビや新聞では真実が明かされないし、ネットだとどこまで信じていいのか分からず。広河さんとお話しができて、心のモヤモヤが晴れました。
 どこかに避難したほうがいいのかいつも悩みます。避難するとしたら、子どもたちが成人するまでの15年間。二重生活は厳しい。かといって、夫も含め新しい土地で生活を始めるのもリスクが高すぎる。おそらく共働きでないと収入的に無理だろう。周囲に身内がいない中で、共働きを続けられるか。様々な事情で福島を離れることが出来ないご家庭がたくさんあります。せめて子どもたちを定期的に保養に出してあげたいと願っています。
 事故のことはだんだん風化されていってしまうのではないかと、いつも不安がよぎります。でも全国の皆様からご支援をいただき、福島の子どもたちのことを考えてくださる方がこんなにいらっしゃるんだと心強く思います。一人でも多くの方がこの問題に目を向けてくださることを願ってやみません。
(K・H いわき市) 

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 球美の里では心身ともに元気になり、素晴らしさを実感しました。閉ざしていた心がだんだんと開いていくようでした。球美の里はパワースポットでした。皆様からの沢山の愛を受け取らせていただき、私たちは恵まれていることに気がつくことが出来ました。
 福島県では18歳以下の医療費が無料になったり、病院や、入院施設の整備が進められています。そんなことよりも、発病の予防を考える球美の里のような施設が、子どもたちの健康を守るために必要であると確信しました。
 原発事故以来、拭いきれない不安の中で生活をしています。昨年は、子どもたちも体調を崩すことが多く、最近では長男が胸を痛がっていました。低線量長期被曝が子どもの健康に与える影響が気がかりで、汚染地域から離れ、免疫力を回復させたいという思いで参加させていただきました。
 久米島空港に着いた瞬間から暖かな気候、青い空、美しい海に癒され、心が安心しました。ボランティアスタッフさんたちの顔を見た時、(なんていい顔をしているんだ)と驚きました。素晴らしい方たちが集まって、本当に良くしていただきました。
 球美の里での生活は、地元のお母さんたちが愛情のこもったおいしい食事を作って下さり、元気になっていくのを感じました。子どもたちは外で思いきり遊び、石や葉っぱを拾いながら散歩したり、芝生を裸足で走ったり、洗濯物を気持ちよく外に干せたり、綺麗な空気、大地、水のありがたさを今まで以上に感じました。子どもたちが笑顔で遊ぶ姿を見るのがうれしくて、幸せな時間を過ごしました。
 理事長の広河隆一さんの、経験に基づいたお話は、まさに真実で心に響きました。〔子どもを守ろう〕という力強さに感動しました。真実を見つめること、真実を受け止めることが大切なんだと感じました。
 滞在中に受けさせていただいた甲状腺検診では、最初に私が「きれいです。良かったね」と言われ、次に6歳と3歳の息子たちには「のう胞が多数あり」という診断でした。やはり釈然としない思いがあり、現実の厳しさを痛感しています。
 次男に「ぼくはもうすぐ死ぬの?」と聞かれました。
 甲状腺だけの問題ではなく、様々な健康被害が懸念されます。
 出来れば福島を離れたいのですが、夫は祖父から受け継いだ仕事をやめる気持ちはなく、避難するとなると母子だけとなり、家族がばらばらになってしまうことに葛藤があり、実行出来ずにいます。心の中では福島県に住み続けて大丈夫なのか? という思いがあります。
 現在では球美の里が第2の故郷の様に感じています。久米島の方々の思いやり、受け入れて下さる心にも感謝しています。とても素晴らしい所でしたので、多くの福島の子どもたちが球美の里を訪れて元気になって欲しいと望んでいます。理想としては半年に一度くらい訪れ、健康を維持出来るようにしたいです。
 今後とも多くの皆様の継続的なご支援を必要としています。どうかご協力お願い致します。私も自分の出来る支金集めを始めたいと思います。そして、子どもたちの明るい未来をあきらめることなく、想像して創造していきたいです。ありがとうございます。
(阿部重実 いわき市) 

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 球美の里に、NPO法人タッチインピースのセラピストとして参加させていただきました。とはいえ、球美の里では何でもします(笑)。仕事内容は、マッサージ、遊び、配膳・食器洗い、朝食担当(他食事の手伝い)、子どもたちの引率、水汲み、掃除。その他雑用全般。*マッサージになるべく時間を割けるように配慮していただきました。
 私は久米島を訪れたのは初めてでしたが、さすが火山から産まれた島。土地の持つ力に驚きました。子どもが相手ですから私たちも毎日本気で、クタクタになります。しかし少~し寝ただけで回復してしまうから本当に不思議です。球美の里、保養に最高の場所だと思います。福島の子どもたちへのとても力強く温かいサポートを体感しました。
 子どもたちは、始めはマッサージに抵抗を示す子もいましたが、一度気持ち良さを知るとみんなマッサージを大好きになってくれました。親子関係であっても、なかなかマッサージをおうちですることがないようですが、本当はおうちでもしていただきたいので、お母さんにお勧めすることもありました。マッサージの目的は、少しでも免疫力を上げ、浄化を促進し、保養の効果を最大限に引き出すこと。保養中の体調管理。コミュニケーション。リラクゼーション。海外では治療にも使われているオーガニックのアロマオイルや、びわの温灸などを併用し、個々に合わせた方法でケアをしました。お母さんへのケアもさせていただくようにしました。放射能から離れた場所で、ご自身と向き合いリラックスする時間を持ち、全身に元気を充電し、希望を持って帰ってもらうこと。それまでの不安が子どもを守る勇気に変わればと願いながら。
 期間中に、広河隆一さんの写真展、ウクライナのナターシャ・グジーさんのコンサートも行われました。美しい歌声と共に、じっと見、聴き入っていた彼らの心と身体に、響くものがあったのではないでしょうか。
 子どもたちは21時に就寝。夜はお母さんたちの自由な時間です。楽しい時間を共有する中で、お互いに情報交換をされたり、広河さんの経験に基づいたお話を聞いたり、本当に知りたいことを声に出せる時間がとても意味深いように感じました。
 今回保養に参加させていただいたことに、感謝しています。生きること、無条件に愛することを、彼らが教えてくれました。守るべきものを守っていきたい。
(大谷百世 京都府) 

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 東日本大震災の時、私はカメルーンにいました。母国から遠く離れた地でボランティアをしていた私は、非情にもテレビで流れる津波の映像にリアリティを感じることができませんでした。しかし、カメルーンの友人は自国のことのように日本を心配し、私に優しい言葉を投げかけてくれました。
 国をまたいだ優しさとアフリカでいただいた貴重な経験をどのような形で社会に還元したらよいか帰国後、悩み葛藤すること半年が経ちました。いただいた恩恵を伝えたい。気持ちだけが先走りどのように伝えるべきかその手段を模索している中、この球美の里を知りました。
 「子どもに携わる仕事がいい、好きな事を仕事にしたい」「自分の幸せと人の幸せがリンクしている時間の使い方をしたい」じれったいジレンマを脱する為にも「思い描くよりも行動あるのみ」とここでのボランティアを決めました。
 久米島での生活は、参加された子どもたちや、親御さんのみならずボランティアまでも楽しくさせてくれるものでした。アーラ浜で宝貝を拾ったり、体を砂に埋めて遊んだり、夜には、星を見上げ話たり、外で遊ぶ幸せを子どもたちは体いっぱいに感じているようでした。また、それを見つめる保護者の方も子ども達が自由に遊ぶ姿を見て心いやされていました。
 しかし、よかったよかっただけで終わりませんでした。それは、ナターシャさんというチェルノブイリ被災者の方の演奏を聴いていた時です。今回の福島の方々と共感する境遇を経験された方でした。彼女の歌声は、お母さん達の心を深々と温めてその気持ちに共感してくれるように映りました。
 こみ上げた気持ちが涙として溢れ出ているお母さんの横顔を見て、初めて震災を自分の身近な出来事として感じたのです。震災を自分の痛みとして感じ、カメルーンでの温かい言葉がやっと自分自身に響きました。
 球美の里の本来の意味は、子どもたちや親御さんの養護にあります。しかし、それだけではありません。球美の里は、時間の経過と共に薄れ忘れ去られている震災への接点を濃く強く紡いでくれる場所でもあると思います。人に出逢い、触れることでその人の痛みや苦しみが遠い問題ではなく、より自分の中にある課題として受け止められる。寄付していただいた方々、設立から現地の方と協力して球美の里を守るスタッフの方やボランティアの方、そして福島の皆さん。沢山の方の接点が共に生き抜く一つの力となっていく。そして未来の元気に還元されていくのだと球美の里に来て改めて気付かされました。私自身、活躍するフィールドは何処かまだ分からないですが、ここでいただいた〝共力心〟を元気の源にこれからの自身の歩みを見つけていけたらと思っています。
(成冨志保美 佐賀県) 

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 ボランティアに参加したなかでパッと思い出すのは、「この保養者たちは福島から来ている」ということに気がつく瞬間です。それは、ボランティア活動として保養者の付き添いで海に行ったり、お風呂に入れたりするなかでは見えてこない瞬間です。たとえば小学生が「また来れたらいいな」というつぶやきだったり、母親が「あの子が泥だらけになってもいいんだ」という瞬間の風景のことで、私は写真のように覚えています。
 ボランティア活動に参加したのは、中学3年の時に実家の山梨から沖縄の鳩間島の中学校に不登校を理由に転校した経験から、沖縄には縁があったことと、大学での学びが軍縮安全保障と環境問題などの国際的なテーマへの学びであったことから自然と福島に対して向き合いたいと気がついていたからでした。
 震災以後、被災地へのボランティアに参加したいという想いとともに、郡山に友人がいたことから福島へ向き合いたいという想いが膨らんでいましたけれど、行動できず葛藤する日々がありました。2012年の春、DAYSJAPAN8周年のイベントの際に「球美の里」のことを耳にして、直感的に、福島+沖縄というキーワードに「これだ!」と感じて、夏休みを利用してボランティアに参加しました。これにより、それまでのやるせない無力感をともなう葛藤から「私は目をそむけていない」と臆することなく自分にも向き合うことが出来るようになりました。
 球美の里では、訪れた当初から台風時におけるリスク管理を任されて、初めての仕事ばかりをしました。漆喰造りの赤瓦を1枚でも飛ばさないために、風によってなびく木の枝を計算して、すべてチェックしてまわりました。大きな松の木にはしごを使って登り、太いロープを使って枝を縛って、切り落とした枝が屋根に当たらないようにズバズバ切り落としました。
 台風当日は、保養者全員とほとんどのスタッフが町営施設に避難して、施設には理事の広河さんと2人で、毎時の台風情報を集めるよう指示を受け、報告しました。深夜に雨が強くなり、レンガとブルーシートで浸水防止の段を1時間で造ったことがありました。レンガを運ぶための一輪車も、カッパも、知識も無いなか、雨と暴風を感じていましたが、ドカドカとレンガを運びまくり、無我夢中でまるで戦っているようでした。
 ここでのボランティア活動では総合的な判断が求められますし、保養者とのコミュニケーションのなかから、考えるテーマがわんさと現れます。私は、今後も球美の里に関わっていくなかでそのつど問題に向き合い、勉強し、確かな手ごたえを得るために行動し続けたいと思います。それは私にとって、めざましい成長につながってゆく気がします。その経験を急いで発揮して、保養者がここちよく過ごせる保養生活につなげていきたいと思っています。
(鈴木正輝 埼玉県) 

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 久米島でのあっという間の2週間、私は逆に多くの物をいただいたような気がします。保養活動を通して子どもたちの笑顔や久米島の自然からたくさんの元気をもらう一方で、改めて福島県の現状を知りました。保養や甲状腺の検査の実施の大切さを実感し、さらに多くの人に活用してもらいたいと思いました。
 「なぜ福島県から参加したのか?」と、不思議に思われる方もたくさんいると思います。しかし今思えば、私は福島で起きている現状の真相や深刻さを知らず、原発への危機意識が薄れているからこそボランティアをする側として参加できたのかもしれません。
 私が住んでいる福島県白河市は、原発から80㎞ほど離れています。原発の避難区域に指定されていないものの、現在はあちこちの公園や小学校で、土を掘り起こす除染作業が行われています。震災直後は放射能に対し、窓を開けることもはばかるくらいに警戒していましたが、住んでいる以上、水や空気そして食物はこの土地のものを摂取せざるを得ません。「気にしても仕方のないことだ、周りの人たちも皆こうしているし」、と震災前と変わらぬ生活を送っていましたが、やはりどこかで放射能という目に見えない物質に対する不安感は拭えませんでした。そんな時、放射能に対して〝保養〟として積極的に向き合うこのプロジェクトに興味を持ち、ボランティアとして参加をすることにしたのです。
 久米島の2週間は、毎日が新鮮で、驚きの出来事ばかりでした。放射性物質を体外に排出する食材をふんだんに使い、スタッフさんが作ってくれた食事。美味しいゴーヤー料理。豊かな赤土の広がるサトウキビ畑や、球美の里のテラスから見える満天の夜空。初めて間近で見せてもらったウミガメ。そして外で思い切り元気に遊ぶ子どもたち。補助輪なしで自転車に乗れるようになった子、怖かった大縄飛びが10回も飛べるようになった子の笑顔。
 そのどれもが忘れることのできないものですが、特に印象に残っているのが、最初に訪れたイーフビーチです。震災以降、海というとテレビの津波の光景が思い起こされ、少し抵抗があったのですが、限りなく青空のように広がる海で無邪気にはしゃぐ子どもたちを見て、思わず涙がこぼれてしまいました。福島の海も、震災前はこうだったのに。もう二度と手にすることができない光景。当たり前に存在しなくなってしまって、いつの間にか忘れてしまっていた光景。懐かしくて、悲しくて、悔しくて、何だか何とも言えない気持ちになりました。
 今、福島は震災が起こる前の生活に戻りつつありますが、私たちは気づかずに失っているものがたくさんあるのかもしれません。あの海の光景もそうです。かつて福島県の海は美しく、新鮮な魚が自慢だったのに、原発事故によって危険で汚染されたものになってしまった。空気も、食べ物も水も、自然の豊かさが福島県の自慢の一つでした。そんなふるさとの記憶や誇りはいつの間にか失われ、今では福島といえば原発のイメージが付きまとう。私たちはどのように子どもたちにこの土地を説明すればいいのでしょう。今後、福島の子どもたちは、どのように自分の生まれ育った土地に愛着を持っていくのでしょう。私は何よりも、堂々と胸を張って福島県民であると言えなくなることが悲しいです。
 チェルノブイリ事故の前例からも、福島に住み続けることが安全ではないこと、健康への影響が懸念されることは分かっています。他県への避難を考慮すべきであることも分かります。けれども、仕事や家庭といった生活基盤を変えて、生まれ育った愛着のある土地をそう簡単に離れることができるでしょうか。この土地福島県は、私たちの一部です。
 福島を離れることができなくても、保養を通してのびのびと放射能を気にすることなく体内をリフレッシュすること、早期に甲状腺検査をして健康管理をすることは、放射能と向き合い、自分自身を守る上で子どもから大人まで誰もができるとても大切なことだと思います。保養という取り組みはあまり知られていないかもしれませんが、もっと広まる価値のあるべきものだと思います。私は4月から県の仕事に携わります。その際、こちらで学んだ事を活かし、安心して暮らし、帰って来る事のできる故郷を守るべく頑張りたいと思います
(桜井由衣 福島県)


― 過去の保養
第1回 2012年7月5日~7月20日
第2回 2012年7月26日~8月10日
第3回 2012年8月20日~8月30日
第4回 2012年9月6日~9月26日
第5回 2012年10月11日~10月24日
第6回 2012年11月7日~11月22日
第7回 2012年12月25日~2013年1月7日
第8回 2013年1月23日~2月7日

― 今後の予定
第9回 2013年2月21日~3月8日
第10回 2013年3月23日~4月3日

※2013年2月10日現在

参加受付は「いわき放射能市民測定室 たらちね」内の「沖縄・球美の里 いわき事務局」にて承っています。保養の対象となるのは汚染の度合いの強い福島県内全域と県外の周辺地域に住む子どもたちです。詳しくは沖縄・球美の里のホームページをご覧ください。http://kuminosato.net/


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未来の福島こども基金 代表 黒部 信一
「黒部信一のブログ」より 2013年2月5日 http://kurobe-shin.no-blog.jp/

 低線量被ばくの子どもたちへの影響と、これから福島の子どもたちに出てくるいろいろな病気についてお話ししたいと思います。それは、一つには外部被ばくであり、高度に汚染された地域に未だに住み続けていることによるものです。そして二つ目は、飲食物による内部被ばくです。それらが長い時間をかけて、子どもたちの体を蝕んでいきます。
 チェルノブイリの経験から明らかなのは、まず甲状腺がんや白血病の増加であり、脳腫瘍も増えてきています。最近ではチェルノブイリで生まれている被曝二世の先天性の骨の異常が注目されています。
 その他にも、がん以外のいろいろな病気、特に疲れやすいとか、病気にかかりやすい子どもが増えていきます。機能的な障害は、がんや骨の異常と違って異常率を数値化できないのですが、現地の小児科医たちは、90%の子どもたちは病んでいると言っています。
 現実にチェルノブイリで被曝した子どもたちや、未だに汚染地に住んでいる子どもたちは、様々な症状を訴え、脳神経系、免疫系、内分泌(ホルモン)系、筋骨格系など多種の病気になっています。
 これまで放射線の影響は、「発がん性(がん、白血病)と寿命短縮、老化現象の促進」が言われてきましたが、それ以外の障害もあることがチェルノブイリ事故後の健康調査や現地の医師たちの話からわかってきました。特に晩発性障害として前記の他に「白内障、不妊、慢性皮膚炎」があると言われていましたが、チェルノブイリの現地の医師たちの間では、それまでに知られていなかった様々な症状が見つかったのです。
 しかし、そのことを臨床医が発表しても、疫学的な裏付けがないために、なかなか取り上げられませんでした。せいぜいマスコミに取り上げられるだけで、医学界からは問題にされていませんでした。
 またチェルノブイリでは見つかった子どもの甲状腺がんの内、25%以上(75%という説もあります)が転移を起こした症状で見つかりました。甲状腺がんは、それ自体の致死率は低いのですが、他の臓器に転移、再発すると大変危険なものになり、致死率が高くなります。早期に発見すれば致死率は2~3%です。チェルノブイリでも早期に発見され、手術し、その後、成長して子どもを産んだ女性も少なくありません。しかし、その場合でも甲状腺がないために、一生甲状腺ホルモンを飲み続けなくてはなりません。(過剰に飲まない限り副作用はないので、心配はありません。)発見が遅れるのは、甲状腺がんそのものはしこりとして腫れてくるだけで、痛くもかゆくもなく、見過ごされてしまうからです。それで肺や骨や脳、頸部リンパ節などに転移して見つかることが多いのです。
 崎山比早子氏によると、1986年から1993年の間にチェルノブイリの原発事故処理者に急増した疾患を多い順に見ると、消化器、内分泌、脳神経、感覚器、泌尿器、循環器、良性腫瘍、悪性腫瘍となり、特徴的なことは、1人で同時に4~5種類の病気を抱えていることです。さらに血液や造血系の病気の増加、白内障、動脈硬化、糖尿病、知的能力の障害なども出ています。
 ベラルーシの元ゴメリ医科大学長で病理学者のバンダジェフスキーによると、1999年までの調査では、ベラルーシの死亡原因の第一は心臓病で、ついで悪性腫瘍で、それ以外は少なくなり、消化器系、呼吸器系、感染症、泌尿器系でした。
 ゴメリ医科大学での死亡者の病理解剖により、放射線の蓄積は、甲状腺、骨格筋、小腸、心筋、脾臓、脳、肝臓、腎臓の順でした。障害は心臓血管系に強くあらわれ、心臓の弁や血管の不調、心筋代謝不全、子どもの高血圧など。腎臓の内部の変化と機能の変化。肝臓の不調、脂肪肝、肝硬変。免疫系では感染への抵抗力の低下で、結核、ウイルス性肝炎、呼吸器疾患への感染。造血系への低下。女性の生殖系では、受精卵の胎盤への着床前の死亡。胎児の骨格系の形成不全。様々な先天異常の増加。女性のホルモン系の乱れ、甲状腺の異常と甲状腺がんの増加。神経系では胎児期の影響で子どもの学習能力の低下。白内障、硝子体異常、屈折異常など、人体のほとんどの器官の障害や機能異常が起きていることが判りました。
 チェルノブイリ子ども基金の佐々木真理事務局長は、毎年チェルノブイリを訪問するなかで、放射性ヨウ素がなくなっているのに最近の子どもでも、甲状腺ガンを発症していること、若い人の心臓疾患での急死や、異常が見つからないのに妊娠しないこと、骨の異常を持つ子どもが増えていることなどの例を見聞きしてきた。それがこの研究の発表で判ったと言われました。
 晩発性障害による大人のがんの発病率は、ICRPによると1ミリシーベルトの被ばくで1万人に0.5~1人ですが、子どもの発病率は、藤岡睦久獨協医大放射線科名誉教授によると、1ミリシーベルトの被ばくで1万人に6.5人、その内、致死がんは5人です。大人と比べると極めて高い確率ではないでしょうか。
 福島の現状は、チェルノブイリでは、強制避難区域、計画的避難区域に当たる放射線量の土地にも、未だに一部避難をさせただけで済ませています。しかも、「放射線管理区域」と言われる区域は、福島では広範囲におよび、ウクライナでは現在多くの健康被害を生じています。福島でもこれから被害が出てくるものと予想されます。
 除染はチェルノブイリでも当初行われましたがほとんど効果があがらず意味がないとしてやらなくなりました。一部除染しても帰宅できませんし、除染してもまた汚染されていってしまうのが現実です。さらに福島では原発の事故処理が未だに終わっていませんし、無意味な除染も行われています。
 これらの作業に従事している人々は、放射線を浴びていますから、今後さまざまな放射線障害が出てくると予想されます。しかし、その人たちの被ばく管理がずさんになされていると報道されていることが心配です。
 チェルノブイリでは、避難できない放射線管理区域などの低線量被ばく地に住む子どもたちのために、学校サナトリウムを作って年1回24日間の保養をさせています。そこでは汚染されていない食べ物を食べ、汚染されていない土地で勉強し、クラブ活動をしています。それによって、内部被ばくの原因となる体内の放射性セシウムを25~30%、この期間だけで減少させることができます。
 また保養によって得られる効果の一つに「希望」があります。子どもたちを不安や絶望から救いだし、希望を持たせることで、免疫の働きを活性化させることができます。
 チェルノブイリ原発事故で消火作業に当たり、重症となった人たちは、ロシア人はモスクワの病院へ、ウクライナ人はキエフの病院へ運ばれました。モスクワへ運ばれた重症者には、アメリカから派遣された専門医が骨髄移植などの治療を行いましたが、救命できませんでした。キエフの病院では、高度の医療ができず、仕方なく、過去にソ連国内の核処理場の事故で重傷を負いながら助かった人たちを呼んで、「俺たちも助かったのだから、お前たちも頑張れ」と励ましてもらったのです。すると結果的に救命できた人が出たのです。いかに希望を持つことが大切かをこの話は教えてくれました。これは、1996年に私がウクライナに行った時に、キエフのチェルノブイリ博物館で聞いた話です。
 私は以前から精神神経免疫学によって、こころが免疫と連動することを知っていましたから、なおさら感動しました。子どもたちに希望を持たせることが大切であり、保養にその効果のあることが、ベラルーシの保養所でも証明されているのです。


「ドラゴン・プロジェクト」は、震災に遭った日本の子どもたちのために企画されたアートプロジェクトです。国境を越えた世界中の人々から絵や写真でドラゴンの身体の一部をつくってもらい、それをつなげて最終的にひとつのドラゴンを完成させます。2012年が辰年であったことと、ドラゴンは守護神なので日本に飛んで子どもたちを見守ってもらおうという主旨です。プロジェクトを立ち上げたのは、米国に住む写真家の椎木透子(しいきとうこ)さんと、オーストラリアで画家として活動中のNino Trentinellaさん。
椎木透子さんのお話「この地震と事故で、気を落とされている方々がいらしたら是非とも、他の国でも多くの人が何かできないかと想っていること、実際に動いていることを伝えていただければ本当に嬉しく想います。」米国で行われたチャリティー展覧会での入場料を福島の子どもたちのためにと寄付していただきました。

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椎木透子さんとドラゴン(2012年3月)
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写真提供:ドラゴン・プロジェクト
URL : http://thedragonproject.weebly.com/

ドイツから来日されていたリッチーさんという電子音楽家の方から寄付金とメッセージカードを手渡されました。演奏活動をしながら集めた支援金で、各国の仲間が「福島のために」と協力されたそうです。当基金を紹介してくださったのはご自身もやはり何度も寄付をしている会員のSさんです。つなげてくださったことに感謝です。

リッチさんカード表2枚
メッセージ ドイツ リッチさん
「夢の実現を願って!IBIZA STYLEから未来の福島こども基金へ3000ユーロを贈ります。ヨルゲン・ブッシュ」
「津波に被災した方々に愛と幸せが届きますように、MINUSとリッチー・ホゥティンから未来の福島こども基金へ3000ユーロを贈ります。リッチー」

リッチーさん
リッチーさんと未来の福島こども基金の向井
(2012年12月)

カナダのモントリオールで活動する「絆ジャポン」から支援金とともにメッセージをいただきました。代表をつとめる橋爪亮子さんは福島県いわき市出身の方です。「絆ジャポンは子どもに日本語を継承させたいと願う親が立ち上げた会です。モントリオールの“Masturi Japon“に出店し、チャリティーグッズなどを販売すると共に、日本の原発災害は終わっておらず、放射能と共存せざるを得なくなった現状、保養の必要性などを伝えています。福島の子どもの未来を考えることは、私たちの子どもを含めた世界中の子どもの未来に繋がり、全ての大人の責任です。一人でも多くの子どもが少しでも長く、最低年1回の保養が可能になることを切に願っています」

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絆ジャポンの方々 写真提供:絆ジャポン
URL : http://kizunajapon.web.fc2.com/

世界でも有数の邦人の多い都市バンコクのアンリユキコさんより:
「日本人主婦手づくりの温かい家庭の味をお弁当として販売し、その収益を福島へと送金できたら、ということで毎月フェアを開催し活動しています」
URL : http://bkktojapan.exblog.jp/

デンマークでバイオリニストとして活躍中の安井優子さんより:
「昨年の大震災のときには離れた外国で胸を痛め、なにかこちらでもみんなと力を合わせてすることがないかと思いあぐねていました。チャリティーコンサートを開催することに決め、この1年で7回のコンサートを行い、チケット代を収益金として義捐金を集めました」※10万デンマーククローネ(約165万円)を送金していただきました。

ナチュロパシックドクター(自然療法医)村上ゆりさんより:
「『放射線から身を守るために出来る事』という題で講演会をいたしました。その中で集まった募金全額をそちらに募金したいと思います」


いわき放射能市民測定室「たらちね」がオープンしてから1年。
事務局長・鈴木薫さんに測定室の状況についてお話を聞きました。

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CA3I0053 たらちねでは1日平均20検体、1カ月で数百検体を測定しており、4台の測定器は常に稼働している状態です。いわき市は土壌汚染のレベルが比較的低いので、測定にくるような方は食品の汚染についても限りなくゼロに近い数値を求める場合が多く、セシウムの値が3~0ベクレルの間が、食べるかどうかの一つの判断基準となっているようです。
 いわき市には行政が設置した食品測定器が20台ありますが、測定をしてもその結果の詳しい説明がなく、検出限界値以下の場合はただ「ND(不検出)」と告げられるだけです。私たちはデータをすべて渡し、そのデータが意味するところをわかりやすく説明していますので、行政で計測した後に改めてたらちねにやってくる人もたくさんいます。これが利用者に支持されているポイントだと思いますが、一方で、オペレーターの技量が非常に問われます。
 利用者にはリピーターが多く、海沿いの街なのでつり人も多く利用します。また、託児サービスを始めたら、子育て中のお母さんたちも訪れるようになりました。食品だけでなく、水や土、飼料も測っていますが、土の測定にはベルトールド社のLB2045を専用にあてています。
 食品の測定料は一検体500円なので測れば測るほど赤字ですが、不足分は募金や支援団体からのカンパで補っています。地元の方に市民測定室の存在を知ってもらうために、地元のメディアの朝日サリーが、無料の告知スペースでたらちねを紹介してくれたり、「日々の新聞」が月に2回、「測定室便り」を載せてくれたりしています。私たちも、講演会などを開いて地元の人に知ってもらうよう務めています。

 東京からわざわざ、ホールボディカウンター(WBC)の測定を受けに来る人もいます。先日も、たらちねではデータをきちんと本人に渡して説明しているということを聞きつけ、ここならとやって来た男性がいました。
 いわき市には行政のWBCが3台あり、使用している機器はいずれも、キャンベラ社のファストスキャンです。ファストスキャンは一般的に完璧だと思われていますが、実際にはその測定データにはばらつきがあり、不安定であるそうです。放射能の性質を考えるとばらつきがあることや不安定であることは当然の結果です。
 行政で測定したデータとたらちねのWBCで測ったそれとを比較してみると、結果にあまり差異はありませんので、問われているのはおそらくデータそのものではなく、そのデータを分析する目なのかもしれません。私たちは被験者に対し、生活に関する多岐にわたった問診をしています。データと生活・行動の記録を照合する、そうすることではじめて、被ばくの原因を特定することが可能になるからです。

 とにかく一刻も早く、子どもの甲状腺検診は始めたいですね。甲状腺の疾患は、早期に発見すれば命に関わる病気ではありませんので、病巣を早く見つければ、それだけ回復する可能性も高くなります。しかし、行政の対応は後手後手です。いわき市では、今年(2013年)の秋にやっと行政による検診が始まる予定ですが、それまで待ってはいられません。一刻も早く検診を開始して、子どもたちの健康と命を守り、被害を最小限に食い止めたいと思っています。
 甲状腺検診には、器械、技師、甲状腺専門医の3つが必要です。器械については現在検討中です。できればより高性能な器械で検診したいと思っています。400~500万円前後の器械の導入を予定しています。
 球美の里では、2時間かけてだいたい50人を検診しています。いわきでも専門医に来ていただき、診断してもらうという形でスタートする予定です。できれば、複数人の専門医の方にご協力をお願いしたいところではあります。今、手をあげてくださっている医師の他にも協力医を募っているところです。

 甲状腺検診の結果、明らかな異常が見つかった場合は、すぐに病院で治療を受けられるように対応し、問題がなかった場合にも、検診結果を保存して、次回の検診の際に経過を見極められるようにしていきたいと思います。とにかく早急に診断を始めて、明らかに甲状腺に何らかの問題のある子どもには治療を受けさせること、定期的な診断で経過を観察して変化が起きていないかを注視すること。この2つがたらちねが甲状腺検診を行う大きな目的であり、喫緊の課題です。
 球美の里での甲状腺モニタリングにご協力くださっている野宗先生(島根大学教授)自身、これまでこんなにたくさんの、一般の子どもを検診した経験はないそうです。初期のデータを残しておくことは非常に重要、後々問題が現れたときに、それらは役立つだろうとのことです。
 福島県は2年に1度の検診を受ければ十分と言っていますが、それでは間隔が空きすぎています。通常ならば半年に1回、結節が見つかった場合には3カ月に1回は検診を受けてほしいと言っている内部被曝の専門家もいます。
 検診結果の管理は、WBC検診をするなかで培ったノウハウを応用していきたいと思っています。

 いわき市内だけでなく、福島県全域の子ども、さらに他県の子どもも対象としていきたいと思っています。例えば、茨城県はいわき市と隣接していますが、その間にはまるで鉄のカーテンが引かれているのかと思うくらい感覚に違いがあり、茨城県では食品に対してもほとんど対策がとられておらず、地元産の野菜が多く売られています。福島県では産地を細かく表示した他県産の野菜も売られていますので、わざわざ茨城から買いにやって来る人もいます。
 また、球美の里の保養には、甲状腺検診を受けたくて参加している人もいますので、たらちねで検診を始めれば、そういった人たちもフォローすることができるのではないかと思っています。子どもだけでなく、妊婦さんなどの大人も診ていきたいですね。

 2011年11月に開設。地元いわきに根ざした測定室として活動の幅を広げている。昨年の夏からは「沖縄・球美の里」のいわき事務局としての役割も果たす。
 未来の福島こども基金からはDAYS放射能測定器支援募金と共に2台の食品測定器と1台のホールボディカウンターを支援。
URL : http://www.iwakisokuteishitu.com/

―鈴木さんのお話にありましたように、「たらちね」では、この春からの甲状腺検診を計画していますが、検診に必要な超音波診断器の購入費用が不足しています。未来の福島こども基金は市民測定室による甲状腺検診の必要性を理解し、支援していきます。子どもたちの保養費用も引き続き支援の予定です。どうか皆さまのご理解、ご協力をお願いいたします。


【絵画】 チェルノブイリと福島の
子どもたちが描いた絵
【写真】 チェルノブイリと福島
広河隆一写真展
【日時】 2013年4月8日~10日
10時半~20時
【会場】 文京シビック1F 展示室2
【参加費】 無料

【講演】
木村真三(獨協医科大学准教授)
広河隆一(DAYS JAPAN編集長)

【演奏】
「弦楽四重奏団オブリジェ」
新行寺ひろ子(第1ヴァイオリン)
松崎みを(第2ヴァイオリン)
大山菜穂子(ヴィオラ)
藤塚紗也香(チェロ)
【日時】 2013年4月26日(金)
18時半 開場 19時 開演
【会場】 文京シビック 小ホール
【参加費】 大人1500円
学生 1000円(中学生以下 無料)
【主催】 チェルノブイリ子ども基金
チェルノブイリ子ども基金 文京支部 
未来の福島こども基金 
【申込 / 問合せ】 cherno1986@tokyo.email.ne.jp
Tel & FAX 03-5228-2680


パル写真

募金(319件) 8,675,878円
会費 (維持36名・一般73名・学生2名) 583,000円
合計 9,258,878円

沖縄・球美の里 子どもの保養費支援 8,000,000円
沖縄・球美の里 いわき事務局支援 1,000,000円
合計 9,000,000円
今後の支援予定
「たらちね」 甲状腺検診 超音波診断器支援
沖縄・球美の里 子どもの保養費支援

*生活協同組合パルシステム東京から復興支援カンパとして4,052,100円の寄付を受けました。
*生活協同組合パルシステム東京から城南信用金庫のボランティア預金利息配分をとおして400,000円の寄付を受けました。

※(写真)贈呈式において パルシステム東京 理事長 吉森弘子さんと黒部信一代表

(医)創生会真岡西部クリニック/(株)you2/(宗)聖心会三光町キャンパス/(有)百町森エコプロジェクト/5年後10年後子どもたちが健やかに育つ会足柄支部/Ibiza Style/Minus Inc/NPO法人チェルノブイリ医療支援ネットワーク/アースランクラブ/カトリック門司教会/くしはらささゆりクラブ/ケイ歯科クリニック/ころぼっくる/さいほうクラブ「すいせん」/ストッププルトニウム神奈川連絡会/そらとも/バレエカレッジFEYA/ひばりが丘グレイス教会/フクシマを思う実行委員会/みんなのNO NUKES☆西東京/リサイクルグループ・カリーナ/飯田弁護士事務所/家田整形外科皮膚科クリニック/医療法人社団秋山眼科医院/臼田歯科医院/株式会社桜井書店/環境調査センター(有)/絆ジャポン/子どもたちを放射能から守る練馬生活者ネットワーク/城南信用金庫/生活協同組合パルシステム東京/泉称寺「いなべ親鸞塾」/特定非営利活動法人 広河隆一非核・平和写真展開催を支援する会/日本キリスト教団下関教会/常陸野すかんぽ団/文化の泉/宮崎県美術協会/ 
(敬称略。紙面の都合により団体名のみ記載)


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