子ども応援金を受けている皆さんより近況報告

〜ご支援して下さった皆様に心から御礼申し上げます〜
(皆さんからの声です)

Kさん(父)

子ども応援金の支援を受けた娘は、2023年4月から高校1年生の歩みを始めました。高校入学と同時に揃えなければならないものが、多くありましたが、応援金のおかげで全て揃えることができました。娘が入学した高校は、自宅から遠くないということもあり、徒歩や自転車で通学しています。
高校の部活動は、美術部に入部し、他校の美術部もそうなのですが、娘も市の絵画展に何日もかけて描いた作品を展示することができました。高校に入学したことで、新しく学ぶこともあり、親友もでき、楽しくこの1年を過ごすことができました。
2024年4月から、娘の高校2年生の歩みが始まります。福島第一原子力発電所にたまる処理汚染水の海への放出が、これまでに3回行われましたが、その福島県での生活に、不安がないわけではありません。しかし、親として娘を励ましながら、歩んでいきたいと思います。

Mさん(母)

最近は、全国的にも有名な私立義務教育学校きのくに子どもの村学園の子どもたちを取材したドキュメンタリー映画『夢みる小学校 完結編』が上映開始となり、それを観たことで不登校の息子は、やりたいことが芽生えて引き籠もりから少しずつ出てくるようになりました。
昨年、親子で、この前作『夢みる小学校』(最新版の完結編ではない方)の自主上映を見たことと、福島県大熊町立の義務教育学校を見学し、「ここはあの映画みたいな夢みる小学校だ」と思ったことから、息子は少しずつ動き出しました。公立学校でも校長先生さえ動かすことができれば、今の息苦しい学校を変えられる。そのくらい校長先生の権限は大きいと知りました。
その後、息子は校長先生に直談判して、学校を、大人を変えたいとプレゼンし、生徒会の執行委員となりました。百聞は一見にしかずということで、今、全国的にも次々に自主上映がされているこの映画を、校内で子どもと教員と保護者に見て貰うために、自主上映が出来ないかを模索している所です。不登校だけど、生徒会の執行委員に選ばれるのも面白いと思いましたが、やることも面白いと思って見守っています。
自分でやりたいことを見つけ、それを自分でどうやるのかを決めて、自分なりに行動しています。日本人が最も幸福を感じるのは、それができている時だそうですが、今、やっと子どもはそれができるようになってきました。それはやはり、私が余計なこと(過指示、過保護、過干渉)をしないようにしているからだと思います。
子どもがそれをしてもいいと、自分に許可したり、それを選択できるようになったきっかけは、春からの球美の里の保養と、夏のイタリア保養にあります。球美の里とイタリア保養の大人の方々の愛情に包まれた環境でのチャレンジや休息は、息子にとって本当に大きな経験でした。イタリアに引率下さった、お父さんのようなお兄さんの存在も大変に大きなものでした。そして滞在先で出会った馬や犬たちの影響もあります。きっとこの経験がなかったら、今の息子の姿はもっとずっと先の未来だったかもしれません。
まだ気力・体力がない親子ですが、人の育ちをそのままに自分で自分を育て直ししながら、子どもの育ちを伴走していきたいと思います。

Eさん(父)

避難生活も10年以上、貯金も少なくなり私も定年退職となりました。再就職はできたのですが、給与や待遇は酷いものです。そんな中で、私に、直腸ガンが見つかりました。幸い治療はできたのですが、抗ガン剤の副作用は手ごわく私の体を痛めつけます。
そして、避難先の国家公務員住宅に住み続けていることで、なぜか福島県と裁判になっています。二倍の家賃請求に納得はいかないのですが、支払えるだけのお金は貯金(キープ)しなければ成りません。
出費(生活費)を見直す中で、子どもの習い事も考えなければ成らないところ、ありがたいことに応援金をいただけることになったので、子どもの大好きなサッカーを続けさせて貰えています。小さな体なりに一生懸命ボールを追いかけています。読み書きが苦手なのが大変なのですが、楽しく日々を過ごすことができています。ありがとうございます。

Hさん(本人)

高専に入ってから、1年近くたって、学校生活にも慣れて、友達もたくさんできました。
授業も面白いし、先生たちもクセが強い人ばかりで面白いです。その中でも、プログラムのコードを書いて、プログラミングをするのがとても楽しいです。
初めてコードを書いてプログラミングをして、最初は英語みたいなよくわからない文で、正直大丈夫かなと思いました。今は慣れて何が書かれていてどういう風に動くのかがすぐにわかるようになって、最近では簡単なゲームを作ることができるようになりました。
また、画像編集や3Dモデルを作ったりもしていて、今まで全くやったことがなかったようなことを体験することができていてとても充実しています。
休日は、畑をやっています。畑の作業の中でも耕耘機で土を耕すのが楽しいです。耕耘機(こううんき)をもっと地面に押し付けるようにしたらうまくいくかな、逆に少し持ち上げてみたらうまくいくかな、などと考えながら作業しています。普通の地面だったところがどんどん畑になっていくのを見るのが今一番楽しいです。
また、その畑で初めて草刈り機を使って草を刈ることができました。最初はほんとにへたくそで全然進まないしうまくいかなかったけど、今は少しうまくなって、最初よりは効率が良くなったのを実感して嬉しいです。
さらに、仲良しのおじさんと一緒に畑の合間に三線を弾いています。最近あんまり三線に触れていなかったけれど、久しぶりに触ってとても楽しくて、一度弾きだすとやめるのが嫌になるくらいのめりこんでいます。

Nさん(本人)

私が球美の里に行ったのは小学校3年生の時です。きれいな海を覚えています。たくさんお世話になりました。魚がたくさんいて捕まえるのが楽しかったです。ラジオ(FMくめじま)で出演できたことがうれしかったです。久米島の動物や植物がたくさんあるところが大好きです。私は小学生のときから私は絵を描くことが好きで今でも絵を良く描いています。私は皆さんの応援があったので、ここまでやってこられました。

そして私はこの春高校生になります。都立高校の特別推薦(美術)にて合格しました。私はこれからデジタルに挑戦します。絵をたくさん書いて好きなことをたくさんするつもりです。これからも頑張ります。温かく見守っていただけると光栄です。流行の推しの子のルビーを描いたのを送らせていただきました。将来はたくさんの人を笑顔にできるような絵をたくさん描けるようになりたいので高校で学んできます!これからも応援してください。

Sさん(母)

いつもご支援ありがとうございます。母子避難生活を経て福島に戻り、早8年が経とうとしています。帰郷後は諸事情により所有している家には住めず、賃貸の家に暮らしておりました。昨年、福島に今後も住み続けることを決意し、新居を構えました。これからは、ようやく落ち着いて過ごすことが出来そうです。
ご支援頂きました娘は元気に高校に通っております。まだ将来何がしたいかは分かりませんが、物価が上昇しており、これからますますお金がかかる時です。娘がやりたいことが見つかり、出来るよう、これからも見守りたいと思います。放射能の問題は消えることはありせんが、笑って過ごしたいと思います。

Yさん(母)

高校1年生の娘の母親です。娘は春休みにボランティアに参加する計画があります。小学5年生の時に1人で参加した保養は、おそらく素晴らしい経験だったのでしょう。今回は自分がボランティアとして参加するために、パンフレットを見て応募し、zoomの練習や振込方法、ボランティア保険の手続きなど、さまざまな準備を進めています。これらの手続きを通じて、以前ボランティアに参加した方々の思いも感じているでしょう。
高校の海外ホームステイに参加したかったようですが高額すぎて断念しました。しかし、彼女は諦めず、自分にしかできない経験をするために積極的に行動しています。

Oさん(母)

皆様のおかげで、第1希望の高校への進学が決まりました!!北陸地方の高校なので、心配もありますが本人が被災した経験を生かし、被災した方に寄り添えればと思っています。皆様には本当に感謝をしております。ありがとうございました!

Tさん(母)

私達は物価高騰により家賃の値上げがあり、アパートから復興団地へと引っ越しました。昨年から続く物価高騰の影響で、厳しい生活が続き復興団地の空き待ちの最中でした。仕事を増やす中で、安定した生活を選ぶか娘との時間を選ぶかの苦渋の選択になりながらも、どうにかこうにか、がむしゃらに今を精一杯過ごしております。娘との過ごす時間を作りながらも笑って暮らして行けるのが、ありがたいと身に染みております。
皆様の温かいお心遣いに心より感謝いたします!まだまだ厳しい世の中ですが、きっと良くなる世の中へと変わる事を祈り願っております。

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