2024年4月発行ニュースレターNo.28

チェルノブイリから学び、子どもたちを守る 未来の福島こども基金ニュースレター

未来の福島こども基金ニュースレター
from chernobyl No.28 2024年4月発行
チェルノブイリから学び、子どもたちを守る

ニュースレターNo.28のPDF(5MB ※読み込みに時間がかかります)はこちらからダウンロードできます。
みなさま、ぜひご覧になってみてください!

大好きな畑で「夢」を耕す

3歳のときに東日本大震災が起き、東電・福島第一原発事故により放射能が環境に中に放出。大好きな外遊びができなくなり、4、5歳の頃、「沖縄・球美の里」(沖縄県久米島)の保養に福島県いわき市から参加した。球美の里ではボランティアの人たちにいっぱい遊んでもらった楽しい記憶がある。

その後、母親と共に久米島に移住した小野覇空真(おの はくま)さん。昨年進学のため島を離れ今は沖縄本島に住んでいる。原発震災から13 年目の今年、「自分がやってもらったことの恩返しがしたい」と、保養の手伝いをする姿が琉球新報、沖縄タイムスの記事になり、テレビでも報じられた。

学校でプログラミングを学び、合間には畑仕事に勤しむ日々を送っている。「農業とIT を融合させて社会に貢献したい」という将来の夢! 応援します♡(写真:本人提供)

東日本大震災・福島第一原発事故から13 年

原発事故後の被災地市民活動の実情とこれからのたらちねの活動

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね

認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね
理事長 鈴木薫

https://tarachineiwaki.org

東日本大震災から13年が過ぎました。

被災地での県内外の支援活動は、発災直後から現在まで変化しながら続いています。

2011 年から2013 年ごろまでは、県外から緊急支援がありました。衣食住の整備や被曝防護のための測定器配布等が中心でした。
しかし、その後は、国の動きと連動する「原発事故はなかったこと」「風評被害を払拭する」リスクコミュニケーションの影響が強い支援がなだれ込んできました。

被災地のこれまで

現在、放射性物質による高濃度の汚染を受けた双葉郡は、年間受託線量20ミリシーベルトを基準とし、人々の帰還が促進されています。
20ミリシーベルトという放射線量は、双葉郡以外の地域の20倍の濃度です。通常は年間1ミリシーベルトを基準としています。

振り返ってみると、2013 年ぐらいから、現在の大熊町の役場がある大川原地区の大規模除染が始まっていました。その頃は、その地域に立入るにも行政の許可が必要でした。2014 年の夏に、たらちねに「大熊の自宅の土壌を測って欲しい」、という測定依頼があり、測定結果は11,000,000 ベクレル/キログラム(Bq/kg)という高濃度でした。測定後の土壌試料は、元あった場所まで返さなければならず、その時に私は大熊町に立入りました。許可をもらい警戒区域内に入りました。

その道中、大川原地区の除染の様子を見かけました。人もいない、周りは草だらけ、シーンとして熱風だけが感じられる中で、大型の重機が黙々と何台も動いていました。案内してくれた人が、「いずれここに人を返そうとして除染をしている」と教えてくれました。その様子はSF映画を見ているような、現実では無いような感じがしました。

当時、その土壌試料を返しに行った母屋の空間線量は70マイクロシーベルト/毎時でした。

土壌の返却のために車から降りて、15分ほどしか滞在しませんでしたが、翌日、私がたらちねのホールボディーカウンターで体内の放射能測定をしたところ、セシウムが検出されました。それまで、一度も、検出されたことがなかったのに……防護服を着てマスクをし、メガネをかけて立入りましたが、高い線量の中で被曝は避けられなかったのだと思います。同行して運転を担当してくれた男性は、その直後に急性白内障になりました。

同じ頃、大熊町では町外避難をしている住民に向けて、ニュータウンのチラシを配っていました。チラシには「10年後の2023 年には、大川原地区を中心とした分譲タウンができて、洒落た住宅がたくさん立っているニュータウンに変貌している」というイラストが描かれていました。いわき市小名浜の仮設住宅に避難居住していた30代の女性が、私のところに来て「鈴木さん、これをみてほしい。このチラシの内容は本当なのか?」と聞きに来ました。私は、「今の状況を考えると、とても本当のこととは思えないけれども、こんなふうにやっていこうと思ってるんだろうね。」と答えました。あの時から11年が経ち、大熊町は本当に、あの時のチラシと同じようになっています。

空間線量の減少と実施の汚染との乖離

福島第一原発事故により拡散した放射性物質の中にセシウム134という核種があります。この核種は半減期が約2年です。2年で力が半分になります。4年経てばさらに半分になります。放射性物質の壊変の性質上、半減期の短い核種の方が空間線量に大きく影響します。
この半減期の短い核種が2年ごとに半減を繰り返すことにより、空間線量だけを測っていると、放射線の影響が少なくなっているような感じがしてきます。しかし、半減期の長い核種(セシウム137 やストロンチウム90など)は依然として存在しています。
高濃度に汚染された地域でも、測定しやすい空間線量が下がると、なんとなく、汚染の影響が少なくなってきていると勘違いしてしまうことがあります。

こういう性質を利用した「福島はもう大丈夫。復興に向けて頑張ろう!」という動きが2014 年ぐらいから加速してきます。立ち入り禁止となっていた地域が次々と立入り解除となりました。それに伴い、
「風評被害」「誤解されている福島の人がかわいそうだ」など、雰囲気重視の掛け声が大きくなり、「できれば、原発事故はなかったことにしたい」「早く、家に帰りたい」などの被災者の心の隙間に入り込むような精神的ケアを重視した支援活動が増えてきました。

その時期、福島イノベーションコースト構想が走り出し、事故を起こした原発の後始末、収束作業に従事する作業員育成の人材育成プログラムも始まりました。

徐々に、汚染の実相を把握するための放射能測定も憚られるようになり、被災地の人々が、なぜ故郷を去らなければならなかったのかの理由さえ、水面下に埋められてしまいました。
科学的な検証を根本とする原因究明よりも、言葉によるイメージの世界が広がっていきました。

市民活動と支援の変貌

県外から県内に入ってくる支援団体も、活動資金の調達などの理由から、国が求める活動をするようになっていきます。ポジティブで前向きな農業の促進やイベントの実施、子どもたちが被曝を看過する方向の放射線教育など「心が救われれば、健康は二の次」という雰囲気の中、このようになってしまった本当の理由について語らない人が増えていきました。それは言ってはいけないこととして、人々の心の奥深くにしまい込まれていきました。

被災者による市民活動・被災地支援の現状

発災直後から、被災者による被災地支援も行われてきました。
今年起きた能登半島地震の様子を見ていても感じることですが、緊急支援に入った外部の支援者は、いつまでもそこにとどまって関わる事はできません。いずれは、地域の人々が自立して、自分たちの暮らしを立て直していかなければならず、その点で被災者自身が被災地の支援に向き合うことはとても大切なことだと思います。

福島原発事故の被災者による被災地支援は、自分たちの生活に、なんとか心の豊かさを取り戻したい、子どもたちの健康を守りたい、などいろいろな願いが込められた活動です。しかし、それらの活動も、徐々に「原発事故はなかったことにしたい」という空気の中、やりにくさが強まり、「もう、放射能は大丈夫だから」というつくられたイメージの中で縮小していきました。また、当時、活動できる環境にあった人々が月日の流れとともに、生活が変化し関われなくなったという事情もあります。

国のプロパガンダ政策と連動し、地元の人々による自発的自然的村八分の締めつけ、世代問題、イデオロギーの介入などが、自由な市民活動を圧迫していきました。

今、双葉郡では、もともとの住民ではなく、縁もゆかりもない人々が移住し生活するパターンが増えています。その人たちが、自ら支援者となり、町づくりを行なっています。年間受託線量20ミリシーベルトを通常のものとし、そこに言及することなく、人々のコミュニティづくりに勤しむ姿が、県内の夕方のニュースなどで流れます。
20代〜30代ぐらいの若い女性もいます。

もともとの住民の中にも、環境省などと連携し、地域をテーマ付けした公園にして、多くの人をそこに呼ぶ活動を準備している人もいます。それらは、国の機関と連携し良好な関係の中で推進されています。
そこに汚染を可視化する測定結果についての議論はありません。

原発事故の被災地で行われていることは、できるだけ科学的検証から人々の意識を遠ざけて、モヤモヤとしたポジティブな言葉で前向きな気持ちを持たせる動きが目立ちます。被災者自身も、町の衰退の原因を究明しないまま、外から人を呼び込む活動に邁進しています。

たらちねの活動とこれから

たらちねの活動は、活動当初から放射能測定を軸とし、すべてはその結果と科学的検証をもとに進めています。保養、検診、クリニック、心のケアなど他の事業も、すべてはこの科学的視点に基づいて実施しています。

2022 年の秋には、たらちねの測定により大熊町の義務教育校「学び舎ゆめの森」に隣接する丘の土壌から20万Bq/kgの値が検出されました。子どもたちが登ったり遊んだりする距離の場所です。その値は、子どもたちの保護者だけでなく、大熊町や富岡町(その地点が大熊町と富岡町の境界のため)にも情報を共有し、除染の要請をしていますが、いまだに実行されていません。町同士がお互いに押し付けあっていることと、大熊町の除染を管理している環境省が返事ばかりで動かないことが理由です。

子どもたちが生活するエリアで、高濃度の汚染を見つけることができたとしても、除染に繋げることができないことは、たらちねの活動の中で今後、取り組まなければならない問題だと思います。

2015 年から実施している福島第一原発沖の海洋調査も、昨年から処理汚染水海洋放出が始まりましたが、放出前後の測定結果に変化があった場合、それをどのように対策の実現に還元できるかはこれからのテーマです。放出後の海洋汚染について国は、世界一汚染されているといわれるアイリッシュ海同様のトリチウム濃度になるまで対策を講じない方針です。次世代の環境保全を考えた時、それはあまりにも非常識な値だと思うのですが、そこをどう説得していけるかを考えていかなければなりません。

アイリッシュ海で汲み上げられた海水は、研究機関が使用する値付けされた標準試料として世界中で売買されています。たらちねでも測定の精度確認のためにIAEA から購入し使用しています。値付けできる試料の汚染濃度は通常の自然環境にはない濃度です。

震災・原発事故から時間が経つにつれ、被災地では人々の意識をそらしながら、国や電力会社が原発事故をなかったことにしようとしていきます。そこで市民活動や支援を行う地域の人々が巻き込まれ、被災地が虚な状態になっていると感じます。

被災地が歩んだ被曝後の世界を、子どもたちにどのように伝えるかを考えたとき、科学的事実に基づいた確固たるものを残さなければ、申し訳ないという気持ちです。曖昧な言葉遊びではなく、真実を残したいと思います。そのために尽くすことが、今を担う世代の大人の責任だと思っています。

子ども応援金 皆さんからの声(前編)

ご支援してくださった皆さまに心から御礼申し上げます。

Kさん(父)

子ども応援金の支援を受けた娘は、2023年4月から高校1年生の歩みを始めました。高校入学と同時に揃えなければならないものが、多くありましたが、応援金のおかげで全て揃えることができました。娘が入学した高校は、自宅から遠くないということもあり、徒歩や自転車で通学しています。高校の部活動は、美術部に入部し、他校の美術部もそうなのですが、娘も市の絵画展に何日もかけて描いた作品を展示することができました。高校に入学したことで、新しく学ぶこともあり、親友もでき、楽しくこの1年を過ごすことができました。
2024年4月から、娘の高校2年生の歩みが始まります。福島第一原子力発電所にたまる処理汚染水の海への放出が、これまでに3回行われましたが、その福島県での生活に、不安がないわけではありません。しかし、親として娘を励ましながら、歩んでいきたいと思います。

Mさん(母)

不登校の息子は、やりたいことが芽生えて引き籠もりから少しずつ出てくるようになりました。昨年、親子で、『夢みる小学校』の自主上映を見たことと、福島県大熊町立の義務教育学校を見学し、「ここはあの映画みたいな夢みる小学校だ」と思ったことから、息子は少しずつ動き出しました。公立学校でも校長先生さえ動かすことができれば、今の息苦しい学校を変えられる。
その後、息子は校長先生に直談判して、学校を、大人を変えたいとプレゼンし、生徒会の執行委員となりました。百聞は一見にしかずということで、今、全国的にも次々に自主上映がされているこの映画(ドキュメンタリー映画『夢みる小学校』完結編)を、校内で子どもと教員と保護者に見て貰うために、自主上映が出来ないかを模索しているところです。自分でやりたいことを見つけ、それを自分でどうやるのかを決めて、自分なりに行動しています。今、やっと子どもはそれができるようになってきました。それはやはり、私が余計なこと(過指示、過保護、過干渉)をしないようにしているからだと思います。
まだ気力・体力がない親子ですが、自分で自分を育て直ししながら、子どもの育ちを伴走していきたいと思います。

Eさん(父)

避難生活も10年以上、貯金も少なくなり私も定年退職となりました。再就職はできたのですが、給与や待遇は酷いものです。そんな中で、私に、直腸ガンが見つかりました。幸い治療はできたのですが、抗ガン剤の副作用は手ごわく私の体を痛めつけます。
そして、避難先の国家公務員住宅に住み続けていることで、なぜか福島県と裁判になっています。二倍の家賃請求に納得はいかないのですが、支払えるだけのお金はキープしなければ成りません。
出費を見直す中で、子どもの習い事も考えなければならないところ、応援金をいただけることになったので、子どもの大好きなサッカーを続けさせています。小さな体なりに一生懸命ボールを追いかけています。読み書きが苦手なのが大変なのですが、楽しく日々を過ごすことができています。

Hさん(本人)

高専に入ってから、1年近くたって、学校生活にも慣れて、友達もたくさんできました。授業も面白いし、先生たちもクセが強い人ばかりで面白いです。その中でも、プログラムのコードを書いて、プログラミングをするのがとても楽しいです。
初めてコードを書いてプログラミングをして、最初は英語みたいなよくわからない文で、正直大丈夫かなと思いました。今は慣れて何が書かれていてどういう風に動くのかがすぐにわかるようになって、最近では簡単なゲームを作ることができるようになりました。画像編集や3Dモデルを作ったりしていて、今まで全くやったことがなかったようなことを体験しています。
休日は、畑をやっています。畑の作業の中でも耕耘機(こううんき)で土を耕すのが楽しいです。耕耘機をもっと地面に押し付けるようにしたらうまくいくかな、逆に少し持ち上げてみたらうまくいくかな、などと考えながら作業しています。普通の地面だったところがどんどん畑になっていくのを見るのが今一番楽しい。また、その畑で初めて草刈り機を使って草を刈ることができました。
さらに、仲良しのおじさんと一緒に畑の合間に三線を弾いています。久しぶりに三線に触って楽しく、一度弾きだすとやめるのが嫌になるくらいです。

Nさん(本人)


私が球美の里に行ったのは小学校3年生の時です。きれいな海を覚えています。魚がたくさんいて捕まえるのが楽しかった。ラジオ(FMくめじま)で出演できたことがうれしかった。久米島の動物や植物がたくさんあるところが大好きです。
6私は小学生のときから絵を描くことが好きで今でも絵をよく描いています。私は皆さんの応援があったので、ここまでやってこられました。これからも頑張りますので、温かく見守っていただけると光栄です。将来は多くの人を笑顔にできるような絵を描けるようになりたいので、高校(美術科)で学びます!これからも応援してください。

全ての「子ども応援金 皆さんからの声」はこちらのページでご覧いただけます。

「相談のその先があるよ」KAKECOMI
カケコミのココロミ、いまここで続いています

2022年度(2022年4月〜23年3月)事業報告書より

「たべまなは、傷付きを絶対に無視しない。それって、いろんな人が集まる「空間」に、一番必要なことじゃないかなって思います」(高校生スタッフ)

「病院の先生は(家庭の)『環境』が悪いって言ってるのに、どうしてそっちは治療しないのかなって」
(シェアハウス利用経験者)

十代の子たちの「いきづらさ」の原因として、「相談のその先がない」があげられるかと思います。「相談(支援)事業」はどんどん増えました。障がい者、女性、ひきこもり等、対象はさまざまです。ですが「相談」のその先はどうでしょう。安全な家、生活の心配をしなくて済むお金、好きなところへ行ける移動手段、進路を選べること、仕事や進学に必要なもの︙それらが欠けていることが、多くの困っている人が困っている理由です。「相談」のその先で、私たちはそれらを提供できているでしょうか。

特に自分の力で逆境から逃れることが困難な子ども・若者にとって「つらかったね、何かあったらまた話してね」で終わってしまう「相談」が繰り返されることは「相談しても無駄だ」という心の色眼鏡を濃くしてしまうことになります。そうしてひとりで抱え込んで、誰にも言えなくなって、ギリギリまで我慢して、ようやく誰かに打ち明けたら「どうして誰にも相談しなかったの」と責められてしまったり。私たちも行政から「相談(支援)事業」を受託しています。

しかし、自分たちで相談のその先をつくることを決して諦めません。今のところそれは5部屋のシェアハウスと週に1回の食事、日用品や食料品の直接支援、さまざまな社会資源を利用するための伴走支援という限られたもので、「相談のその先があるよ」とはとてもじゃないけれど大きな声で言えません。それでも諦めたくない。もっと形にしたい。それがこれからの、私たちのチャレンジです。
ご支援に心から感謝いたします。

かけこみ寺+コミュニティ=みんなの、わたしの居場所『カケコミ』

※以下の情報もお知らせいただきました。
次年度は白河市内の空き店舗を大幅にリフォームし、新たなこども食堂の拠点と短期滞在型のシェルターとして施設運営が始まる予定です。新しい拠点の整備が完了しましたら、またご報告します。

福島訪問記 2024年1月
請戸小学校遺構 希望の牧場よしざわ
俺たちの伝承館 アウシュヴィッツ平和博物館

世話人 向井雪子

浪江町立請戸小学校遺構 
福島第一原発から7キロ

3・11以降、福島の被災地を何度か訪問していますが、今回初めて、請戸小学校を訪れました。この小学校は津波に襲われてすぐにみんなで近くの丘を目指し全員が助かった奇跡の学校とも呼ばれています。ただし、美談で終わらせたくない、自分ごととして、それぞれが防災意識を持って欲しいと、遺構として残し2021年から公開しています。

素朴なイラスト入りの看板がところどころに立っていて、わかりやすく説明してくれます。かつて見たような?景色・・・チェルノブイリのプリピャチの廃校の写真を思い出しました。

倒壊は免れたものの、津波の脅威は凄まじいものだと感じました。二階に上がる階段の最上階近くまで津波が到達した跡がありました、が、請戸小の場合は直接の放射能の被害で廃校になったわけではないので放射能ついての説明はありませんでした。でも、実際には請戸の浜を津波が襲った翌日、原発が爆発し、浪江町は全村避難になりました。前の晩に、消防団の人たちは「助けて」、という声を聞いていて、助けに行くつもりだったのに行けなかったのです。その様子を描いた紙芝居をネット上で見たことがありますす。原発さえなければ、と、思わずにはいられません。

希望の牧場よしざわ 浪江町 
福島第一原発から14キロ

首都圏の人たちは、牛をトラックに乗せて、または牛のオブジェを乗せて、国会前や日比谷公園からのデモに参加している吉沢さんを目にしたことはないでしょうか? 私は何度か目撃しました。事故時、300頭いたた牛たち、廃業する農家さんから引き受けた牛も含めていまだ200頭の牛がいるそうです。事前に訪問したい旨を連絡したところ、当日は埼玉に講演に行って留守だが、牛を見るのはいいよ、ということで、レタスの山を食べている牛さんたちには会えました。じーっとこちらを見つめる牛に、たじたじ。同行した友人は、前世で会っているのではないか?と話していました。帰宅後、牛の餌代を友人と一緒に振り込みました。冬場ならレタスか白菜を農家さんからもらって食べていると聞きました。200頭もいたら、もらうだけでは到底足りないでしょう。
ホームページXでも発信しています。
希望の牧場公式チャンネル」には多数の動画がアップされています。ご覧になってください。

レタスに夢中の牛

レタスに夢中の牛

おれたちの伝承館 南相馬市小高区
福島第一原発から20キロ

昨年夏、JR小高駅近くの空き倉庫を改装してオープンしました。現在、曜日によっては開館していない時もあるとのこと。この日は、館長の中筋純さんにじっくり案内していただきました(写真)。

中央には彫刻家の安藤栄作さんの巨大木彫「鳳凰」がそびえ立ち、天井には山内若菜さんの絵画「命煌き」が展示されていました。山内さんの作品は埼玉の丸木美術館や横浜のイベント会場でも見たことがありますがこの場所でさらに迫力を持って輝いていました。その他、細やかな俳句や水彩画など、福島の事故を伝える作品がたくさん展示されています。また、館長・中筋さんのチェルノブイリの写真も展示されています。

アートを通じて原発事故を伝える、という明確な主張のとおり。百聞は一見に如かず、ぜひ、機会を捉えて足を運んでください。FacebookXで発信しています。

アウシュヴィッツ平和博物館

今回の福島訪問のきっかけはアウシュヴィッツ平和博物館が創立20周年記念イベントを開催したことによります。たまたま昨年1年間「反原発・脱原発の市民運動は止められない」と題した文章を博物館の通信に4回にわたって掲載していただきました。

当基金の活動のほかに長い間関わってきた他の市民運動について書いたものです。そんなご縁もあり、友人たちと東京、埼玉から参加しました。

「なぜ、アウシュヴィッツ関連資料が、日本に?」アウシュヴィッツ平和博物館の創始者、故青木進々さんとアウシュヴィッツを通した平和運動の軌跡が式典では語られました。まだご存知でない方は検索してみてください。名前のとおりの博物館です。東北新幹線新白河駅で乗り換えて在来線白坂駅から徒歩6分です。

博物館の名前からして、当基金とは直接関係ないと思われるかも知れませんが、3・11後、いち早く放射能測定所を敷地内に開設し、展覧会で事故の状況を伝えてきました。また、当基金の姉妹団体「チェルノブイリ子ども基金」が支援しているベラルーシの被災者の講演会も3・11後、2回開催されています。

さて当日の交流については次の機会に譲りますが、もう一つ報告です。同じ白河市内で当基金も応援している「カケコミ」というコミュニティ施設があります。その日は留守だったので外から見学。博物館の運営側のお一人とカケコミとの共同プロジェクトも進行中ということを関係者から聞きました。今後も何かと注目です。

カケコミについてはこちらを参照してください。
※博物館の本館は元理事長の塚田棟梁たちが古民家を再生して造った建物です。沖縄・球美の里の保健室の改修工事も手掛けています。

沖縄・球美の里の声

沖縄・球美の里

球美の里では、12月から3月まで、6回のファミリー保養が行われました。
ファミリー保養は一回につき、2~3家族 約十名の保養者さんが、5日間球美の里に滞在します。

海遊び・泥染め・シーサー作りなどのプログラムに加え、昨年に続き、教会のクリスマス会に参加させいただいて厳かな雰囲気のなか素敵な歌を聞いたり、保養ボランティアのお兄さんの三線演奏を聞いた日もありましたね。

また別の時には島のネーネーから、お花や野菜、食材などをいただいたり、保養者さんから球美の里ウィッシュリストより紙粘土とシール、ボランティアさんからリンゴをいただいたこともありました。みなさま、いつもありがとうございます。(*当基金も食材を支援しました)

2023年のファミリー保養は、毎月1,2回のペースで実施され、合計128名の方が参加されました。

この他のニュースとして、1月末に、新ロゴ 「ウレシーサー」が入った看板が完成しました! 「ウレシーサー」は、球美の里の設立当初、保養に訪れた子どもたちが、明るい未来を願ってつくった作品から生まれたロゴで、看板は 久米島在住の木工作家『五え松工房』の宮良さんとの共同制作です。

2〜3月にかけて5名の保養ボランティアが参加してくれました。子どもの頃に被災して保養に参加した経験があり様々な苦労があった中、子どもたちへのサポートを献身的にしてくれる姿を見て、親御さんも何か感じるものがあり、大きくなったらボランティアに来たいという子どもさんもいて、こうして繋がっていくのだなと、その瞬間を目の当たりにしています。
 
ただ、そこには原発事故という山積した問題が続いていて、言葉にするのは難しいですが複雑な気持ちになります。自分たちに何が出来るのか?どう伝えていくのか?改めて考えているところです。

球美の里 久米島事務局

球美の里ブログに保養の様子を掲載中。

2024冬 くまべこお泊り会 in 只見

今回は3日にわたり、雪遊び、ブナの葉染め体験、自然観察会などの活動を実施しました。冬の只見らしからぬ雪の少なさでしたが、それでも冬ならではの活動で、参加者からは大変好評でした。

3.11の後、大熊町から会津若松市に避難したママたちが作った会「くまべこ子どもを守るママの会」を応援しています。
https://www.facebook.com/kumabeko

ストレスで免疫が低下する

黒部 信一(小児科医師)
黒部信一ブログ
未来の福島こども基金 代表
チェルノブイリ子ども基金 顧問
いわき・たらちねクリニック 顧問

どんな社会で育つかが発育に影響する

(『格差は心を壊す』より)

 社会的ストレス、特に両親と子どもの間のストレスは、ストレスへの反応を制御する幅広い遺伝子の発現に影響を及ぼす。子どもが何の不安もなく愛情に満ちた家庭環境の中で育ったか、精神的、肉体的な虐待、育児放棄、あるいは両親のけんかや暴力といった環境で育ったか(これが約10~15%)、それともその中間で育ったか、家庭環境によって、子どもの反応の仕方や適応の仕方が大きく変わってくる。生物のどの種でも、人でも、経験によって発育が左右される敏感な幼少期がある。遺伝子に影響を及ぼすのは、物理的な経験だけとは限らない。社会の階層化に伴って生活や社会関係も変化するし、遺伝子の発現にも変化を及ぼす。

妊娠以前の母親のストレスもあるが、それは子どもにとっては受精後より始まる。そこで受精後から出生後2年までの合計千日が、子どもの発育にとって大切な時期となり、この時期にその人の環境への反応の仕方が決まる。

ストレスという外界からの刺激

人は適応しようとする。うまく適応ができないと人はそれを回避する方法を探して反応する。適応や回避ができないと心が痛んで免疫が低下して、感染症にかかったり、アレルギー反応を起こしたりする。こうして貧困と格差社会が子どもの発達や適応の仕方を左右してしまう。貧困と格差社会を作り出すのが戦争と内戦である。

コロナウイルス

パンデミックを引き起こしたが、それは世界で内戦や内部抗争が蔓延し、貧困と格差社会が生じていて、難民や貧困層というウイルスにとっての餌場が大量に存在していることを示してくれた。

現代医学はすべての人を同じと考える

すべての人は同じ様に反応すると考えている誤りを持つ。だが人間は一人ひとりみな違う。遺伝的な違い、貧困か否か、年齢や、持病が有るかどうか、ストレスへの反応の違いなど、受精後千日までの育ち方育てられ方が違いを大きく左右する。

コロナ感染症やコロナワクチン

本当に健康な人はどちらにも上手く反応し、コロナにもかからないし、ワクチンにも対応し副反応も出ないのです。どんなワクチンにも対処して体内で処理し2週間程度で解消します。生ワクチンですら抗体を作らずに処理されてしまうことが1~数%あります。
コロナウイルスには感染の入り口で対応して排除し、排除できなくても体内で白血球などの免疫系が働いて抗体を産生して対応します。血液中に入らなければ抗体はできません。

新型コロナ感染症

今までの診断法を否定し、PCR法と抗原検査で診断することになりました。診断法の革命です。だから不思議なことが起きます。同じウイルスに二度感染することはないはずですが、よく耳にします。今までの診断法では感染すれば(抗体ができれば)、感染しなくなります。麻疹ワクチンなどの生ワクチンがそうです。しかも抗体検査をしません。風疹ワクチンなどは検査して抗体の無い人がワクチンを受けていました。それをしないのです。

精神神経免疫内分泌学

コロナ感染が怖い人は、コロナにかかると死ぬかもしれないという恐怖を抱き、感染すると必要以上に症状が悪化します。それがコロナ肺炎で亡くなる人の典型です。そうでなくても、怖いと長引きますし、後遺症も残ります。だからワクチンは救世主で、これで助かったと元気になります。コロナワクチンは感染予防にはならないので、コロナの疑いをもたれただけでも落ち込みますから、かかりやすいのです。

ワクチンが嫌いな人にとってワクチンはコロナ感染以上に悪いのです。ワクチンは強制的に体内に注射されてしまいます。そのため、ワクチンをいやいや接種するとそれだけでアナフィラキシーを起こしますし、いつまでもワクチン後遺症が残ります。ショックのあまりに亡くなることもあります。ペニシリンアレルギーと同じです。

私の友人の兄が交通事故に遭い、むち打ち症になりました。最初は首にギブスを巻くだけでしたが、事故を起こされたことを恨んでいてなかなか治りません。それで開業医から労災病院に紹介されて行ったら、もっとひどい人がいてそれを見てますますひどくなり入院し車いすの生活になりました。心身症の典型です。自分もそうなるのではないかと思うことでそうなってしまうのです。一種の自己暗示です。心配性の人が陥りやすい落とし穴です。

コロナに感染しても死ぬことは稀

インフルエンザと同じです。肺炎を起こしたら、回復するまで酸素を吸って待つしかないのです。人工呼吸器やエクモを使うことは滅多にありません。ほとんどの人は、私が体験した高圧高流量酸素吸入と伏臥位呼吸法でしのげています。
何事もプラス思考で行きましょう。良くなる良くなるという自己暗示は効果があります。決してマイナスを考えてはいけません。

コロナ感染症の死者

パンデミックの最初の1年間の死者は、3500人くらいでしたが、その後急増しました。始めは肺炎による呼吸不全でしたが、2022年以降はほとんどが持病の悪化などで人工呼吸をしていない人が亡くなっていたのです。

一方ワクチンでは、アナフィラキシーを起こす人が今まで以上に多く、アナフィラキシーショックで死亡者も出ています。コロナワクチン接種被害は3万人以上と言われ、救済申請は1万通を超しています。審査班を2つに増やしましたが、いつ審査されるかも見通せません。しかも申請が増え続けている状態です。

ご寄付をくださっている団体の紹介

多くの皆さまからご寄付をいただいております。個人の方は割愛しています。継続してのご支援、感謝申し上げます。
   

川和保育園(横浜市 手紙より抜粋)

クリスマス礼拝の中では5歳児の子どもたちが生誕劇を行い、他のクラスの子どもたち、保護者にもクリスマスの本当の意味を伝えてくれました。その姿を小さい子どもたちも真剣に見ていました。日々何気なく過ごしていると忘れてしまう神様への感謝の気持ちをクリスマスになると改めて感じます。

しかし、世界では当たり前の幸せを享受できていない人もいます。今年も川和保育園は献金という形でチェルノブイリまた福島原発事故で苦しんでいる方達の力になれたらと思います。アドヴェントの期間、子どもたちも大人も大切に集めてきた献金です。一人ひとりの気持ちが力となり未来の福島こども基金の皆様のお手伝いができたら、嬉しく思います。
(*川和保育園父母の会からも継続してのカンパをいただいています)

ウォーターマーク・アーツ・アンド・クラフツ

(国立市 ギャラリー webより引用)

3・11をきっかけに始めたチャリティー展「ノエルの贈り物」は、 アーティストのオリジナルカードや作品の売り上げから、子どもたちの保養・検診他、「いわき放射能市民測定室たらちね」支援などを行なっている【未来の福島こども基金】に寄付しています。今年は処理汚染水放出が開始され、たらちねで継 続して行われている海洋調査はますます重要な活動となるでしょう。10回目の今年は23名の作家さんがご参加。/12月

長引く戦争、物価高、増税などで今回は厳しいかもしれないと覚悟していましたが、今までで最も多い点数と寄付額となりました。190点近いカード・小作品などの作品売り上げの30%と 作家の方達から申し出いただいた寄付も併せて、未来の福島こども基金、子どもの貧困対策を掲げている団体、パレスチナ緊急援助の団体に寄付いたしました。/1月

継続ご支援をいただいている主な団体一覧

【順不同・敬称略】教覚寺(静岡)、遍照院(岩手)、法然院・桃山基督協会・桃山幼稚園(以上京都)、龍国寺(福岡)、カトリック仁川教会・スラージ(以上兵庫)、桑名教会(三重)、自然環境センター・語り部地蔵(以上大阪)、山形の会、千葉友の会、志木かっぱ油田・原発とめよう飯能(以上埼玉)、網走友の会・民宿夢民村・玄米ごはんカフェじょじょ(以上北海道)、養源寺「柔心地蔵」・フクシマを思う実行委員会・クレヨンハウス・伊藤石油・やじんき法律事務所・お絵描きぽけっと・渋谷民商布ぞうり・西小岩幼稚園・はじめてきもの小梅・小池音楽教室・伊藤法律事務所・ACT21・たんぽぽ法律事務所(以上東京)、沈黙の春(山口)、具志川モービル(沖縄)、小川医院(茨城)、ピースライブインこうち

故坂本龍一さんからのカンパ

故坂本龍一さんのご遺族の方から、昨年、ご寄付がありました。
「少しでも活動のお役に立てるのであれば、坂本氏の名前の公表について、差し支えない」と、遺言執行人よりご連絡いただきましたので、ここに公表させていただきます。坂本さんのご意志を生かせるよう、今後も福島の子どもたちの健康を守る活動と共に反原発の活動も続けて参りたいと思います。

みんなの放射線測定室「てとてと」宮城県大河原町

2024年元旦。能登半島でマグニチュード7.6の巨大地震が発生しました。「津波警報が出ました、避難してください」と連呼するアナウンサーの声。倒壊する家屋。分断される道路。避難所に集まる人々。3.11東日本大震災の記憶が鮮明に呼び起こされました。

能登半島地震が起きたとき、真っ先に気になったのは原発でした。〜〜万が一事故が起きてしまったことも考えました。それは、当時の私たちの姿と重なりました。〜〜今後同じ状況に置かれる方々が現れたらそのときに私たちができることは何でしょう。いままでの経験を伝えること。町の小さな測定室は町の一隅を照らすものですが、それは同時に「他の町」をも照らすことができるはずです。  2024年3月11日 てとてと運営委員一同(通信より抜粋)

未来の福島こども基金のみなさまへ(ごあいさつ)

NPO法人・みんなのデータサイト運営委員会

これまで認定NPO法人・ふくしま30年プロジェクトの活動を長きにわたってご支援いただきありがとうございます。残念なことに、ふくしま30年プロジェクトは5月に解散の予定です。ふくしま30年プロジェクトは原発事故後の汚染地福島の市民放射能測定室として、不条理かつ反倫理的な政府や自治体から切り捨てられる市民にとってのセカンドオピニオンとして、県民とりわけ子どもたちの被ばくを最小限にするための様々な測定活動を続けてきました。と同時に、全国34(現在24)の市民放射能測定室のネットワーク・NPO法人「みんなのデータサイト」の中心的測定室のひとつとして、17都県3400余地点の土壌放射能調査や山菜・キノコ測定プロジェクト、測定精度管理として市民測定室の宝である「基準玄米」の値付や他の市民測定室で測定された検体のクロスチェック測定など、市民測定の核として多大なる貢献をしてくれました。

今後は、測定室建物、ゲルマニウム半導体核種分析装置、ホットスポットファインダー、貴団体からの無償貸与物であるNaIシンチレーション測定器(AT1320A)やホールボディーカウンター(AT1316)などの機器類は、みんなのデータサイトに移管される予定となっています。移管後も、ふくしま30年プロジェクトの測定スタッフであった清水さん、阿部さんは同時にみんなのデータサイトのスタッフでもありましたので、測定が止まるわけではありません。これまでも、そして、これからも汚染地福島の作物や土壌の測定は重要なプロジェクトです。

フランスには、チェルノブイリ原発事故後に設立された二つの市民放射能測定室が今なお精力的に活動しています。リヨン近郊のヴァランスにあるCRIIRAD測定室と、核燃料再処理施設ラ・アーグの近くに立地するACRO測定室です。とりわけCRIIRAD測定室は福島第一原発事故が発生してすぐに来日して汚染調査を行ったばかりでなく、ふくしま30年プロジェクトの設立、機材の提供、測定技術の研修などで多大な支援をしてくれました。

今後も福島の市民放射能測定室の灯を消さぬよう、これまで同様の活動が出来るように努力していく所存です。今後とも、ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。(2024年2月19日)

※当基金発足当初から支援してきた「ふくしま30年プロジェクト」は解散し、「みんなのデータサイト」に全ての財産・活動を委ねることになりました。残念な事態ですが、「みんなのデータサイト」で市民放射能測定室の灯を受け継いでくださることは幸いです。今後とも、応援していきたいと思います。

お知らせ

  • みなさまにお届けしているこのニュースレター、活動報告・寄付金の使途報告を基本としています。webで見るので送付不要という方は事務局までお知らせください。また、一律に振込用紙を同封していますが強制するものではありません。すでに会費、カンパを振り込まれた方はご容赦ください。webにも掲載します。写真もカラーでご覧いただけます。
  • 元旦に起きた能登半島地震、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。自然災害のたびに、原発のことを心配しなくてはいけない日本。そもそも地震大国で原発を建設すること自体が間違っていたのではないでしょうか?
  • 戦時下に置かれているウクライナ、パレスチナ、いっこうに和平に向かっての希望が見えません。遠い国のことと思わず、何が出来るか考えたいと思います。
  • 例年4•26前後に実施されていたチェルノブイリ救援イベント。今年は6月1日の開催となります。当基金は賛同団体として協力します。

子どもたちへ 黒部ドクターより

今まで福島県にアレルギーと発達障害が増えていると言いました。実際その様に私には見えたのです。それで渡邊久子先生に聞きましたら、つまりそうでない人までそう診断して投薬しているのではないかと言います。診断基準が違うということです。渡邊久子先生は「もっとゆっくり生きてよい」と言います。私は今まで25歳で成人になると思っていましたがもっと遅くて30歳かそれ以降で良いというのです。

そうしたときに「月刊保団連」という保険医協会の雑誌に載っていた記事「子どもの精神発達と社会」を読み直し、改めて納得しました。社会が変化していることと、精神発達に関しても社会の許容範囲が狭まっているのです。それで子どもたちの精神発達が私たちの時代と比べて変化しています。いろいろなことを子どもの視野から遠ざけているので、私たちの時代よりずっと子どものように感じられます。だからもっとゆっくり生きて良いのです。

未来の福島こども基金 規約

1、本会の名称 :「未来の福島こども基金」
2、目的: 福島原発震災に遭った被災者を支援するため、情宣・募金活動を行う
3、会費 :3000 円、学生会員 2000 円、維持会員 1 万円の年会費を納入する*
4、役員: 代表 1 名、若干名の世話人をおく。世話人の中から会計、監査を選任する
5、会員はそれぞれ可能の範囲で創意工夫して自由な支援活動を行う
6、本会は印刷物、メール、ネット、等の媒体を通じて適宜活動報告を行う
7、毎年 1 回、総会を開き、事業および会計について報告する
8、事務局:埼玉県志木市
9、活動開始:2011年6月1日より(会計年度6月1日より翌年5月31日まで)

※会費には寄付金も含まれます。
※経費は募金額の1割以内をめどとする。
※当基金は任意団体です。税金控除の対象となりません。ご了解ください。

継続支援のお願い

引き続きのご支援をお願いします。すでに振り込まれた方はご容赦ください。
また、チラシをまわりの方に広めていただける場合、枚数をお知らせください。お送りします。どうぞよろしくお願いいたします。

寄付金、会費の振込先

郵便振替口座
振替口座: 00190-0-496774
口座名: 未来の福島こども基金
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店番 : 019
店名 : 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
預金種目 : 当座 0496774

三菱UFJ 銀行 神楽坂支店
支店名: 神楽坂支店(支店番号:052)
口座名: 未来の福島こども基金
口座番号:普通口座0064011

海外から送金の場合 – Remittance from Overseas
– Remittance from Overseas
BENEFICIARY’S BANK/ACCOUNTBANK:
THE BANK OF MITSUBISHI UFJ, LTD
3-7, KAGURAZAKA, SHINJYUKU-ku,
TOKYO 162-0825, JAPAN
BENEFICIARY’S BRANCH:KAGURAZAKA BRANCH
SWIFT/BIC:BOTKJPJT
ACCOUNT NAME:Fukushima Children’s Fund
c/o Mukai Tate 2-3-4 409 Shiki City Saitama.
353-0006, JAPAN
ACCOUNT NUMBER:052-0064011

未来の福島こども基金
HP:https://fukushimachildrensfund.org/
FB:facebookページ
事務局:〒353–0006 埼玉県志木市館 2-3-4-409 向井方
TEL 090-3539-7611 FAX 048-470-1502
Eメール:info*fukushimachildrensfund.org
(Eメールの「*」は「@」に変えてください)

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