ニュースレター No7 を発行しました!

沖縄・球美の里といわき放射能市民測定室 たらちねの年次報告、代表黒部信一(小児科医)の「鼻血論争と健康相談」
京大原子炉実験所の今中哲二さんの「被曝後のこれからを考える」 など、読みどころ満載です!

ニュースレターNo.7 2014年6月 発行

ニュースレター No7のPDFダウンロードはこちらから

未来の福島こども基金 総会 &「いわき放射能市民測定室たらちね」から

福島原発事故から3年3ヶ月、そして2011年6月に当基金が活動を始めてから3年。
いつもあたたかいご支援を賜り感謝申し上げます。
本文7頁の今中哲二さん(京都大学原子炉実験所)の言葉にもありますように、私たちは福島原発事故のあと、放射能と向き合いながら暮らさざるを得ない時代に生きることになりました。これまでの活動報告と今後の支援について、みなさんと意見交換させていただくとともに、いわき市小名浜で食品他の放射能測定、甲状腺検診などを行い、日々被ばくと向き合い活動をされている「いわき放射能市民測定室・たらちね」事務局長の鈴木薫さんのお話を伺います。ぜひ、ご参加いただけましたら幸いです。
no7-photo01島のボランティアさんによる読み聞かせ〜ピラミッド館で(左)、島の赤土でTシャツに泥染めをした(右)。いずれも沖縄久米島・球美の里

  • 未来の福島こども基金 総会 &「いわき放射能市民測定室たらちね」から
  • 2013年度活動および会計報告
  • 「健康相談会@福島」 未来の福島こども基金代表・小児科医・黒部信一
  • 「被ばく後のいまを生きる〜甲状腺・球美の里の保養・ベータラボについて〜」
    いわき放射能市民測定室・たらちね事務局長・鈴木薫
  • 【日時】2014年6月28日 (土) 14:00〜16:00
    【会場】 豊島区民センター(コア・いけぶくろ) 第5会議室
    東京都豊島区東池袋1-20-10 Tel:03-3984-7601(区民センター)
    東京メトロ・JR池袋駅東口より徒歩5分
    http://www.toshima-mirai.jp/center/a_kumin/


沖縄・球美の里の声

球美の里の入口~宮崎駿さんのロゴとシーサーがお出迎え

球美の里の入口~宮崎駿さんのロゴとシーサーがお出迎え

 沖縄・球美の里には、今日も元気な声が響いています。
おかげさまで、福島原発震災の被害者である多くの子どもたち、母親が球美の里の保養に参加しています。

 当基金の代表・黒部信一と世話人・向井雪子は球美の里の理事も務めています。
 2014年5月31日、都内において第2回沖縄・球美の里の総会が開かれました。主な内容を抜粋します。(報告 向井)

 
 

各事務局からの報告

◆久米島事務局 広河隆一 理事長(兼事務局長)

子どもたちの様子、新築計画などについて
 

  • プログラムは地元のみなさんの協力で多彩になっている。保養者へのアンケートによると、ホタル館、海ガメ館、ハテの浜、バーデハウス(海洋深層水施設)、その他の海岸、遊びの広場、なんくるさんしんライブ、図書館、ピラミッド館(木のおもちゃが置いてある)などの人気が高い。
  • 施設については保護者からの評価は案外低かった。今、新館を建築中なのでそれができあがったら、快適さなどが改善されると思う。
  • 交通費は、子どもの分を球美の里が負担し、保護者は有料。食費を含む滞在費は全員が無料。子ども一人当たりの費用は5〜7万円。航空チケットが費用の大部分を占める。この費用のうち、3分の2が「DAYS被災児童支援募金」、3分の1が「未来の福島こども基金」の寄付による。
  • 広報は沖縄の地元メディアはテレビ、新聞とも報道しているが、大手のメディアではなかなかとりあげてもらえない。
  • 2014年5月現在、通年式の福島の被災者保養施設は、日本国内ではここ一か所のみであり、球美の里の役割は大きい。
  • 球美の里の周辺は町有地であり、町の厚意により、一部を使用させてもらっている。ホタル館と共同で施設内の池のビオトープ化を図り、やちむん工房、麦心パン屋さんなども含んだ山城一帯を観光地として、広く町内外の人たちに訪れてもらうようにしたい。
  • 木のおもちゃのあるピラミッド館、図書館などは、町の保育園や子どもたちに開放したい。
◆いわき事務局 鈴木薫 副理事長(兼事務局長)

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 2012年7月の1次保養から2年が過ぎ、福島県内を中心に地域の人々に知られるプロジェクトになりつつある。しかし、保養の意味を認識していない保護者もまだまだ多く、今後も広報の必要性を感じている。放射能の汚染はこれから30年以上続き、そこで多くの子どもたちが育っていくことを考えると、この保養事業が重要なものであり、今後も発展させていくべきものであると考えている。
 国の補助金「ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業」を獲得するため「球美の里こどもクラブ」を県に申請、登録した。保養の企画が認められると子ども一人に対して1日5千円の補助金が下りる。ただし、その補助金は年1回。球美の里で利用している旅行業者を通して行われることになる。
 参加した子どもたちの年齢別、地域別などについては表のとおりです(上はいわき放射能市民測定室・たらちねの総会資料/第10次保養も含むので合計数が少し異なる)。2013年度は11次保養〜23次保養まで行った。子ども424名、母親111名の合計535名。

◆東京事務局 広河理事長と河井事務局員
  • 募金は減少している。もっと多くの人たちに球美の里のことを知ってもらうよう、広報につとめたい。他団体の催しにも積極的に参加しチラシを配布。
  • 2周年記念イベントとして、球美の里の保養者にも人気の高い「なんくるさんしん」を関東に招いて、福島のこどもたちとのコラボレーションを計画したい。
    *なんくるさんしんは3月に行われた第25回新唄大賞〈主催:ラジオ沖縄〉で「球美ぬ里にめんそーれ」という歌でグランプリを獲得している。
  • 認定NPO法人を申請中。これにより寄付者の減税が図られ、企業などから寄付が増えると予想。「沖縄・球美の里」で募金口座も作った。今後、直接の寄付も広く呼びかけていくようになる。

※このあと、質疑応答があり、今後についての検討課題が話し合われましたが紙面の都合により割愛します。

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左上) 島のお母さん手作りの子どもの日・特製おやつ〜紅芋とサンニンの葉を使って
右上) 琉球空手&古武道の吉本先生と子どもたち
左下) イーフビーチでボール遊び


 第26次保養(2014年5月20〜29日)に子どもたちの付き添いとして参加しました。小学生10名、未就学児18名、保護者14名の計42名の参加でした。
 初日は、夕方に球美の里に到着し、すぐに夕食。今回は、小学生のほとんどがリピーター、母子の半数もリピーターと、勝手が分かっている方たちが多く、 すんなりはじまりました。私は、思っていたより、きれいで広い印象を受けました。
 次の日からプログラムが始まり、午前は各施設の紹介、午後は、島半周めぐり。バスに乗り、展望台で、海や、島を見渡し、ふれあい広場では綱引き大会をし、最後にアーラ浜で貝拾い。小さい子たちにはちょっとタイトなスケジュールだったようです。

 沖縄は、梅雨真っ只中で、雨が続き、みんなが楽しみにしていた、ハテの浜での海遊びができるか心配でしたが、一日延期してもらい、晴れた日に行くことができました。ごく浅いところだけですが、子どもたちははしゃいで泳いでいました。
 2日目の夜には、子どもたちが寝た後でママたちとボランティアとスタッフの交流会がありました。チェルノブイリと福島の線量を比べた図を見せながらの広河さんの話にショックを受けたママもいたようでした。みなさん聞きたいことがたくさんあって、広河さんを質問攻めにしていました。気になっていることを、普段、近所同士でも話せないことも多いらしく、同じような考えの人たちとこうして話せることは、とても貴重な時間だそうです。県内でも、もっと線量の多いところからの避難者との格差があったり、考え方の違いで、友達や家族の間でも、ぎくしゃくしてしまったりということがあると知り、直接、話を聞けて勉強になりました。

 今回、地元ホテルのご好意により、ホテルのプールで遊ばせていただくことができました。子どもたちは大喜びでした。
 最終日のお別れ会では、ダンスを習っている小学生がいて、女の子、男の子、それぞれダンスを披露し、たいへん盛り上がりました。最後には、子どもたちみんなで楽しく踊りました。小学生たちは、年齢が近かったこともあり、みんな仲良く、そして、小さい子たちの面倒もよく見ていたのが印象的でした。
 梅雨時だったので、洗濯物が乾かなかったり、羽アリが大量発生したり、といったこともありましたが、晴れている間に、ホタル観察もできたし、海にも行けました。次回は、6月22日から7月1日まで。梅雨が明けて、もっと外で遊べると思います。
 
未来の福島こども基金世話人・大場真喜子


健康相談会と鼻血論争について

 私は、子どもたちを放射能から守る小児科医の会に参加していますが、当初健康相談を開始した時に、できるだけ初期被ばくした時の状況を書き残すように勧めました。そして、相談時には、覚えている範囲で書いていただきました。それが、その後初期被ばくの程度が判明する時に役立つと考えたからです。果たして、それは正しかったのです。避難した多くの人──特に原発事故で避難した人たちは、その当時の記憶が鮮明な方もいれば、よく判らずに避難して余り覚えていない方もいます。年月が経つと次第に忘れていきますし、正確ではなくなります。

 私は、山田真先生の呼びかけで、福島の健康相談会に初めから参加しました。その時には、まだ初期の被ばく量が判っていなくて、特に原発から20㎞圏内と飯舘村で多いと思っていましたが、いわき市の北部も被ばくしていたのです。当初の健康相談会の目的は、避難するかどうか迷っている人の背中を押すことでしたが、その後は鼻血や下痢などの相談が出て来ました。

 日本では、情報が公開されず、もっとも初期はスピーディも停電で動かず、でも動き出してからの情報は公開されず、米軍の上空からの測定がされていることも知らされませんでした。後々のために、しっかり記憶が薄れないうちに記録を取っておくように勧めました。
 そのことの重要性が今になってようやく明らかになりました。今まだ東電や日本政府は情報を公開していませんが、爆発直後に現地に入った原子力学者や報道記者の記録、公開されている米軍の測定情報などで、当時チェルノブイリ原発事故並みの被ばくがあったのではないかと推定されています。そのため、避難しなかった人たちが、大量の初期被ばくをしたことが判って来ました。

 原発事故があったと知らされたとき、真っ先に避難したのは、放射線の知識のある医師をはじめとする医療関係者と物理学者、理科の教師たちでした。私は、まず現地の妊娠中の女性と子どもたちの避難が必要と思いました。周産期学会は、学会ぐるみでそれを呼びかけ、入院中の妊婦を東京、埼玉、千葉、神奈川へ避難させました。チェルノブイリ子ども基金は、50㎞圏内の避難を呼びかけ、アメリカは独自の測定で、50マイル(80㎞)圏内の避難を呼びかけ、その後アメリカ、フランスなどは、自国民の日本在住者にチャーター機まで出して避難させました。

 実際に被ばくしたのは、福島県だけでなく、関東と東北地方の山脈の東側、特に海沿いと、福島の中央でした。山脈による複雑な地形が、被ばくの程度を左右していました。初期被ばくを受けた人たちは、今後潜伏期間を経て、さまざまな病気が出てくることが予想されます。
 私たち未来の福島こども基金は、当初避難を呼びかけ、そして避難できない人たちへの支援を企画し、実行していきました。チェルノブイリの経験から、まず内部被ばくを避けるために、市民放射能測定所の立ち上げに協力し、食品の放射線量の測定と内部被ばくの測定に始まり、さらに保養にまで進めていきました。現在も最良の選択は移住ですが、できない人のための支援です。

 最近、鼻血論争がありましたが、私は当初、子どもはちょっとしたことで鼻血を出しやすく、それ程問題ではないと考えていました。しかし最近の論争の中で明らかになったことは、当時かなりの量の初期被ばくを受け、ホットパーティクルという放射能物質の細かい粒子が大量に飛び、それが繊細な子どもの鼻の粘膜を刺激したのではないかという、北海道がんセンター前院長西尾正道先生の指摘を読み、全く同感しました。それは、時間の経過と共に、鼻血を出す子が少なくなったからです。一般的には、子どもの鼻血はよくあり、一度出すと、ちょっとした刺激で繰り返し鼻血を出し、成長と共に出なくなります。多くは両親のいずれかが、子ども時代に鼻血を出した経験があることが多いのです。しかし、福島では必ずしもそうではありませんでした。そういうことで、やはり被ばく初期の鼻血は放射能のためであると考えざるを得なくなりました。ホットパーティクルなどの存在を知りませんでしたし、初期被ばくが大量であったと推定されるからです。

小児科医 黒部信一


いわき放射能市民測定室たらちね 甲状腺検診プロジェクト

 2013年度の検診実施回数は60回、受検者数は3186人でした。検診中に医師から甲状腺についての詳細な説明をきくことができる。そのことにより、健康に不安を感じている受検者やその保護者が正しい知識を得、病気に備える心構えを持つことができる。また、漠然とした不安な気持ちから、知識を得ることにより安心を実感している姿が見られる。この活動が人々の精神的な支えになっています。詳しくは「2013年度事業報告」をご覧ください。
http://www.iwakisokuteishitu.com/pdf/business-report-2013.pdf

下図は検診の結果を福島県の県民健康管理調査にあてはめたもの。

0歳~18歳の年齢別のグラフでは、A1とA2が多く見られる。初期被ばくの影響と汚染地帯に暮らし続けることを考えると、 今後、この状況がどのように変化していくのか経過をみていくことは重要である。

◉A判定
A1:下記所見を認められなかったもの
A2:5.0mm以下の結節(しこり)や20.0mm以下の嚢胞

◉B判定
二次検査を要するもの
B:5.1mm以上の結節(しこり)や20.1mm以上の嚢胞

◉C判定
直ちに、二次検査を要するもの
C:甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの


被ばく後のこれからを考える

今中哲二(京都大学原子炉実験所)

 2014年5月25日にいわき市文化センターで行われた講演会
「被曝後のこれからを考える──飯舘村の初期被曝線量評価からみえてきたもの ストロンチウム90の行方」より、
抜粋してお届けします。

 みなさんこんにちは。私は放射能を測ったり、みなさんの被ばくがどれ位か調べることを専門の一つとしてやってきました。事故当時、日本政府からデータがまったくといっていいほど出てこない中、だったら自分で測ろうと思い調査に入りました。2011年の3月28日・29日のことです。
 それから3年が経ちました。福島の事故が起きてから、私の役割はだいぶ変わってきたように思います。それまでは、「事故が起きる可能性があるよ」「危ないよ」と言っておけばよかったのが、いまはどこも放射能だらけ、東京も放射能まみれです。
 福島の放射能汚染は今後何十年と続きます。私たちは情けないことに、その汚染に対してどう向き合うかを考えなくてはならない、そういう時代になりました。その中で、放射能(放射線)とは何か、ベクレルとは何か、シーベルトとは何かということをみなさんにきっちりと説明して理解していただくことが、私の役割になりました。

◉──飯舘村

 飯舘村はいま、村民全員が避難していますが、政府は順に帰村させる政策を立てています。しかしやはり、帰るかどうかを最終的に判断するのは村の人たち自身であるべきです。そのためには、村の人たちは放射能や被ばくのことを知り、ある程度確かな情報に基づいて判断していく必要があります。
 飯舘村はいま除染の真っ最中です。作業員の方は2000人位で、何をしているかと言ったら、田んぼの土を剝がして袋に入れて、それを積み上げている。地元の人はこれを「仮仮置き場」と言っています。除染という名の環境破壊です。新しい土を入れてあるので、ゲートボール場がズラッと並んだような状態です。
 しかし、果たしてこれで村の人が帰る気になれるのだろうかと疑問に思います。確かに、田んぼの放射能は減りますが、山はそのままです。今年の2月に飯舘村の村民に対しておそらく復興庁が行ったアンケート調査によると、「戻りたい」「戻ろう」は全体の約2割、とくに若い人はほとんど戻らないと決めています。
 村の住民の意向とは無関係に政府や県、村が大変なお金をかけて除染をしている、私からすれば、とんでもない税金の無駄遣いです。

◉──初期被ばく聞き取り調査

 私たちは2011年3月29日、車を走らせて車の中で測り、またポイントポイントで止まって外で測定していきました。一番高いところで、車の中で1時間あたり20マイクロシーベルト、車外で30マイクロシーベルトあり、飯舘村全体がほぼ車外で10マイクロシーベルト以上でした。そして3年後、一番高いところでも車の中で4か5マイクロシーベルトにまで下がっています。11年3月29日を1とすると、半年後にだいたい半分、1年後に2分の1〜3分の1、4分の1位になっています。3月29日に1時間あたり30マイクロシーベルトということは、3月15日には150〜200マイクロシーベルトあったと推測できます。
 長期的にはどうなるか。どの位まで下がっていくのか。自然界には元々、自然界の放射線レベルというものがあります。福島は低くて0・04〜0・05マイクロシーベルトで、大阪は0・05〜0・06マイクロシーベルト。私は生まれ育ちは広島ですが、広島市内は花崗岩が多いので元々高く、0・07〜0・1マイクロシーベルトあります。
 私が飯舘村の人に言っているのは、除染をする前にまずじっくり考えてほしいということです。50年、100年先を見越して、どうするのかを考えないことにはどうしようもありません。
 村民のみなさんのこれからの被ばくについては私たちも測定もしますし、行政も測定すると思います。でも、一番最初にどの位被ばくしたのかということは、一人ひとりの行動を調べないことにはなかなかわかりません。
 国会事故調査委員会の報告書によると、原発に近い双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の人たちは、避難指示が出た12日と13日中に、ほとんどの方が避難されています。ですから、大量の放射能放出が起きたときにはすでに避難されていた人が多い。避難がもっとも遅かったのは飯舘村でした。結局、原発に近い人よりも30〜40キロ離れた人のほうが、初期の被ばくは大きかったのではないかと思っています。
 それを知るためにはまずきちんとした汚染地図が必要ですので、いま私たちは作り始めています。使っているのはアメリカのデータです。アメリカの核安全保障局は3月17日からヘリコプターを飛ばして、福島上空300メートルの地点をずっと測っていて、その生データをサイトで公開しています。
その数値を国土地理院の地図にプロットすることで、村の1軒1軒の汚染レベルを調べることができます。
 飯舘村で大きな汚染が起きたのは3年前の3月15日、それは間違いありません。その時、そこにどの位の放射能があったか、家の位置に居た場合の被ばく線量がどの位かというのは、私たちが測定しているデータから推定できます。しかし、その個人個人がどれだけ被ばくしたかは、その人がいつ避難したか、当時どこにいたかなどの行動の情報がなければ計算することはできません。それを知るために昨年、聞き取りプロジェクトをメンバー25人で行いました。
 飯舘村の人口は6000人で1700戸。3世代、4世代で暮らしていた方も多く、仮設・借り上げ住宅に避難すると1700から3400戸と、なんと倍に──家族が離ればなれになっているというので驚きました。1700戸のうち496軒の方から聞き取りをして、1812人の情報が得られました。回答者の年齢分布は飯舘村全体の分布とも似ているので、私たちのアンケートは村全体を反映していると考えていいと思います。
 平均で7ミリシーベルト。一番多かった方が23・5ミリシーベルトで、10歳未満は少ない。これは子どもが早くに避難したことが如実に表れていて、お年寄りになるほど初期被ばく量が多い。飯舘村が「計画的避難区域」に指定されるのは4月22日で、それからみなさん避難されたので、それまでの時期の被ばくがこの位ということです。男の人と女の人を比べると、男の人が若干高くなっています。
 聞き取りをしていて気になったのは、事故の直後、村から避難していた人たちがいったん戻ってきて、そして4月22日以降にまた避難したということです。3月11日に地震・津波が起きて、村の約半分の方は避難していました。人口が一番底になっているのは3月21日で、それからまた少しずつ戻ってきて、4月22日にまた避難した。
 とりあえず避難はしたけれども、親戚や知り合いの家にはもう長居をできなくなった、あるいは会社が再開するからなど、その理由はさまざまです。そして3月21日というのは、長崎から山下俊一先生のグループがやってきて、福島市で最初に講演した日です。彼の話を聞いて、「あぁ、放射能は怖くないんだ」と、安心して戻ったという方もいます。
 いずれにしろ、日本政府にまともな判断能力があれば、3月20日頃には村民を避難させようと判断できたはずで、避けられた被ばくです。

◉──チェルノブイリと大気圏内核実験

 28年前に事故が起きたチェルノブイリはウクライナにあります。首都キエフの北100キロ位のところで、すぐ北にベラルーシ、東にロシア。モスクワから約700キロです。1986年4月26日にドカーンといって、原発周辺は広く汚染されました。地面の汚染で考えると、福島の事故に比べたらチェルノブイリのほうが圧倒的にその範囲が広いことは確かです。
 日本上空の空気はだいたい西から東に流れますので、福島の場合は放射能の塊の大部分は海のほうへ流れていった──ということはちょっと想像力を働かせれば、新潟の柏崎で同じような事故が起きたら大変なことになるということは容易に想像できます。
 いま東京のセシウム137の汚染レベルは──もちろん高いところと低いところがありますが──だいたい1平方メートル辺り1万ベクレルです。いわきの市中心部は5万か6万ベクレルだと思います。飯舘村は100万ベクレル、一番高い所が200万。大阪にもわずかに飛んできていて50〜100ベクレルですが、これは全然気にしなくていいレベルです。
 私たちはが放射能汚染を受けたのは、福島の事故が初めてではありません。1960年代、空からバーッと放射能が降ってきました。大気圏内核実験です。日本は北半球中緯度ですが、1平方メートル辺り、セシウム137にすると3000〜5000ベクレル汚染されました。
 それから50年経ちました。セシウム137の半減期が30年ですので、30年で半分、また次の30年で半分、だいたい50年経ったら3分の1から4分の1位になっています。セシウム137というのは地面にくっつく習性があり、粘土鉱物にくっついたらなかなか離れません。それは日本中どこでも、北海道でも九州でもそうです。いわきでも、山に行ってこの50年間触っていないようなところを深さ20センチも土を取れば、1平方メートル辺り、セシウム137がだいたい1000ベクレルあります。
 チェルノブイリの事故の時にも、放射能は8000キロ離れたところから日本にも飛んできました。セシウム137による地面のの汚染が、日本は1平方メートル辺り100〜200ベクレルです。

◉──食べ物の汚染

 みなさんが一番気にされているのは食べ物の汚染ですね。農協などの方はおっしゃっていますね、「いまはかなりの部分を検査していて、全部基準値以下なので安心ですよ。検出限界以下です」と。ただ、「ND」(検出限界以下)というのは、「ない」ということではありません。その気になって測れば少ないなりにあります。
 私の考え方は、数字そのものを知った上で判断して、食べるなり飲むなりをすべきということです。
 ちょっと気になる数字を紹介しますと、例えば牛乳があります。2013年7月にとった福島の牛乳のセシウムはキログラムあたり0・3ベクレルでした。同じ頃、北海道で9月にとった牛乳からは0・08ベクレルが出ています。これは何かと言ったら、核実験の名残です。福島の事故があろうとなかろうと、それ位の汚染は以前からあったということです。
 菌床のシイタケは二本松のものを測ると5・6ベクレルです。北海道産は0・8で、九州の干しシイタケは0・6、これらも核実験の影響です。
 核実験によるセシウム汚染なのか福島の事故によるものなのかどうかは、セシウム134が含まれているかどうかで区別することができます。核実験由来にはセシウム134が含まれていません。ただセシウム134の半減期は2年ですので、あと10年もしたら核実験の影響か福島由来かは、セシウム137を見ただけでは判断できなくなります。
 参考までに、飯舘村で放ったらかしにされていた原木のシイタケを測ったら1万5000ベクレルありました。これを食べたら、あっという間に内部被ばくは増えてしまいますね。
 つまりはこういう数字に慣れて、それぞれの人が判断する。それしかないのだろうと思います。

◉──チェルノブイリと福島の違い

 チェルノブイリと福島の事故はいずれも大変な事故ですが、その性質は異なります。チェルノブイリの事故は、炉心そのものが爆発して原子炉の半分位が吹き飛びました。そのため、かなりの燃料の組成そのものが外に飛び散っています。「にんじん色の森」といって放射能で松が枯れ、数キロにわたって林が全滅するということが起きました。福島の場合は、放出されたのはヨウ素とセシウムが中心でした。
 そしてもう一つ、チェルノブイ原発の原子炉の下には大きな部屋、そしてプールがあり、そこに燃料は広がり固まりました。空気の流れができて固まったのだろうと思います。
 炉心が吹き飛んだ原発は石棺を作ってその全体を覆いました。いまはさらにもう一枚かぶせる第2石棺を作っていますが、その作業現場の放射線量はだいたい1マイクロシーベルトでした(2013年)。福島だったら、1ミリとか2ミリシーベルトと、1000倍位強い汚染がまだあります。
 福島原発の場合は冷やし続けなければならないので、とにかく水を入れ続けなければなりません。そこにさらに地下水が流れ込み、汚染水がどんどん溢れていっています。建屋の中に溜まっている水を調べると、セシウム、トリチウム、ストロンチウムなどが検出され(去年)、それは外にも漏れているようです。
 先日、地下水ドレーン(配水管)から地下水を汲み上げて海に捨てました。建屋に入る前の地点で汲み上げていたのに、それでも1リットルあたり220〜240ベクレルのトリチウムが検出されました。確かにトリチウムは自然界にもありますが、それはわずか1ベクレル位です。タンクから漏れているのか建屋から漏れているのか、心配です。地下水に入ってしまったときは、セシウムに比べてストロンチウムのほうが動きは容易で、これもやっぱり海の方にもだんだん流れていっている可能性が高いです。
 東電は本当にひどい。こうなることは、2年も3年も前から分かっていたのに、手のつけようがなくなってから、「実はこうでした」と、毎回その繰り返しです。
 汚染水のデータをみると、トリチウムがかなり含まれています。セシウムより明らかに大きい。ALPSとかいう装置で放射能を取り除くと言っていますが、トリチウムは水素そのもので普通の水と同じ動きをするのでお手上げ状態です。
 汚染水は何十万トンも溜まっていますが、最後には固めてしまうしかないと思います。コンクリートなりプラスチックなりに固めて、大きなモニュメントにして残すのが一番だと。

◉──「福島後の時代」を生きる

 いま私たちが生きているのは「福島後の時代」です。チェルノブイリの人たちと話をすると、チェルノブイリ事故の前と後で、時代が区切られたと言います。私たちも「福島後の時代」、放射能汚染と向き合わなければならない時代に生きているということです。
 問題は最早、汚染による被ばくをどこまで「ガマンするか」ということだと思います。もちろんそれは被ばくするというのは、それなりにリスクを背負わされるということです。
 ガマンすると言ったとき、考え始める最初の目安は1年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量です。福島の事故の前から、原発の周りに暮らす人など一般の人々が被ばくして許される量(年間被ばく線量限度)は1ミリシーベルトと定められています。日本政府はいま、「年間20ミリシーベルトまで大丈夫」としていますが、それは放射線作業従事者に対する年間被ばく線量限度であって、大人も子どもも赤ん坊も20ミリシーベルトというのは、無茶な話です。
 自然界にはもともと自然放射線(バックグラウンド)があって、私たちは被ばくしています。日本の中でも場所によって違いますが、だいたい年間1ミリシーベルトで、場所による差は平均すると年間0・2ミリシーベルト位です。ですので、ガマンの目安としては、自然放射線年間1ミリシーベルトプラス年間1ミリシーベルト──地面からが0・5ミリシーベルト、宇宙線から0・3ミリシーベルト、内部被ばく0・2ミリシーベルト──その程度の被ばくであれば仕方ないかなと。
 どこまでガマンするかというのは、結局、人それぞれによって違います。年齢、性別、仕事、家庭環境によっても違いますし、地域によっても違う。最後はその人のものの考え方、価値感に関わってくるものだと思います。だけどやはり、子どもは感受性が高いということと、将来が長いということで、子どもの被ばくはできるだけ避けなければいけません。
 もちろん、東京電力の不始末で私たちが被ばくさせられるのはけしからんと思いますし、「被ばくゼロ」「汚染ゼロ」と言う権利が私たちにはありますが、実際に汚染されてしまったいま、最後にはどこかで折り合いをつけざるをえないのかなと思います。
 ありがとうございました。


寄付団体名 (2013年6月〜2014年5月。敬称略)

3.11に灯すあかりLAMP実行委員会/5年後10年後子どもたちが健やかに育つ会/7.7ワークショップ新座/11.2たんぽぽ舎報告会カンパ/ACT21/FukkOBU/Love for Japan Bangkok/Vin Gohan チャリティワインパーティ/WE21 ジャパンおだわら/Y.I.K.ヨガの会/アカデミック ロード/秋山眼科医院/あさのは屋/新しい風/あやカルチャ/アレルギーっ子の食を考える会/愛知映画祭東北物産展協力団体/飯田弁護士事務所/いなべ親鸞塾/ウォーターマークアーツアンドクラフツ/おおつか小児科アレルギー科クリニック/沖縄酒家てぃーだのお客様/核戦争防止神奈川県医師の会/群馬中国医療研究協会/クレヨンハウス/慶應義塾大学出版会株式会社/ケイ歯科クリニック/小池音楽教室/子どもたちの心の音実行委員会/ころぼっくる/菜花屋マスク/埼玉東部法律事務所/桜井書店/桜台横笛会/札幌第三友の会&小学生グループ/さよなら原発3.9関西行動/在仏日本人会・書道同好会&追悼コンサート“福島を想う” in パリ/島尻自治会/照恩寺/ジロング グラマースクール ツーラックキャンパス/真宗大谷派三重教務所/ストッププルトニウム神奈川連絡会/昴 有志一同/ゼラチンシルバーセッション実行委員会/生協パルシステム東京/創生会真岡西部クリニック/「空と海の間に」チャリティライブ/食べもの文化編集部/地域たすけあいネットワーク/チェルノブイリ子ども基金/西小岩幼稚園/日本基督教団 千葉教会/日本キリスト教団 沼津岳南教会/日本キリスト教団 水口教会/日本女子大学児童学科縦の会/はじめてきもの小梅/はだしのゲン誕生物語上映会参加者/常陸野すかんぽ団/ひばりが丘グレイス教会/福音館書店労組/フクシマを思う実行委員会/遍照院/法然院/ほっとぷらざ新座展覧会・映画・講演会/ほっとふるサロン/牧野内総合法律事務所/まだまにあうのなら基金/宮崎県美術協会/芽ばえ社/優輝学習スクール/横浜市民測定所/リサイクルグループカリーナ/れんの会/ろばや

☆ご寄付いただいたみなさまに心より感謝申し上げます☆


未来の福島こども基金 規約

  1. 本会の名称:「未来の福島こども基金」
  2. 目的:福島原発震災に遭った被災者を支援するため、情宣・募金活動を行う
  3. 会費:3000 円、学生会員 2000 円、維持会員 1 万円の年会費を納入する*
  4. 役員:代表 1 名、若干名の世話人をおく。世話人の中から会計、監査を選任する
  5. 会員はそれぞれ可能の範囲で創意工夫して自由な支援活動を行う
  6. 本会は印刷物、メール、ネット、等の媒体を通じて適宜活動報告を行う
  7. 毎年 1 回、総会を開き、事業および会計について報告する
  8. 事務局:353-0006埼玉県志木市館2-3-4-409 向井方
    〈問合せ〉Tel:090-3539-7611 Mail:fromcherno0311@yahoo.co.jp
  9. 活動開始:2011 年 6 月 1 日より(会計年度 6 月 1 日より翌年 5 月 31 日まで) *会費には寄付金も含まれる
    ※経費は募金額の 1 割以内をめどとする
    ※当基金は任意団体です

継続支援のお願い

会員のみなさま、引き続きのご支援をお願いします。
すでに振り込まれた方はご容赦ください。振込用紙つきチラシを一律に同封させていただきました。
また、チラシをまわりの方に広めていただける場合、枚数をお知らせください。お送りします。どうぞよろしくお願いいたします。
事務局: 353-0006埼玉県志木市館2-3-4-409 向井方 Tel : 090-3539-7611 Mail : fromcherno0311@yahoo.co.jp

募金口座
●郵便振替

口座番号 00190-0-496774
 口座名 未来の福島こども基金
  他の金融機関からゆうちょ銀行へ振り込みの場合
  店番 : 019
  店名 : 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
  預金種目 : 当座 0496774

●三菱東京UFJ銀行 神楽坂支店

 口座番号 0064011(支店番号:052)
 口座名 未来の福島こども基金

●海外から送金の場合

BENEFICIARY’S BANK/ACCOUNTBANK :
THE BANK OF TOKYO-MITSUBISHI UFJ, LTD
3-7, KAGURAZAKA, SHINJYUKU-ku, TOKYO
162-0825, JAPAN
BENEFICIARY’S BRANCH : KAGURAZAKA BRANCH
SWIFT/BIC : BOTKJPJT
ACCOUNT NAME : Fukushima Children’s Fund
2-3-4, c/o Mukai, Tate, Shiki-Shi, Saitama
353-0006, JAPAN
ACCOUNT NUMBER :052-0064011

*2014年4月24日に行われたチェルノブイリ28周年救援キャンペーン講演会は会場が満席(371席)になる盛況ぶりでした。多くの方々のご支援により、今年も救援イベントを成功させることができました。心から感謝いたします。インナさん、広河さんの講演の様子はチェルノブイリ子ども基金のサイトで動画を見ることができます。
http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/2014-kouen.html

また、6月21日発行のチェルノブイリ子ども基金ニュースにテキストを掲載予定です。あわせてご覧いただけましたら幸いです。

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